忍者ブログ

主に東方projectの二次創作について綴る事を趣旨とした、個人的ブログです。 記事のほとんどはSS関連になると思います。
04 2024/05 1 2 3 45 6 7 8 9 10 1112 13 14 15 16 17 1819 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 31 06
RECENT ENTRY RECENT COMMENT
[01/26 twin]
[01/24 NONAME]
[08/25 あ]
[05/11 twin]
[05/07 NONAME]
[05/07 twin]
[05/06 NONAME]
[05/06 NONAME]
[05/04 twin]
[05/04 NONAME]

05.04.03:55

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 05/04/03:55

10.24.19:51

第五回東方SSこんぺ「おにんぎょうのロンド」綺羅氏

 久し振りのレビュー。
 というのも、何ともなしに、得点を見てから読んだ作品だったのですが、そんな軽い動機の元に読んだ作品をレビューしようと思い立ったのは、私から見て、この作品があまりにも素晴らしかったという理由以外にはありません。最早レビューすら必要しないくらい、知られている作品なのかも知れませんが、それでもこの作品を知らない方に、この感動を伝えたいが為に、ともすればほとんど利己的な理由から、こうして感想を書いています。


 ある貿易商の息子に贈られた綺麗な西洋人形。
 それは数多の不幸を眼にして来た、曰く憑きのものであった。
 幼き日の記憶に残る、忘れ去られた玩具。それを再び思い出す時、彼は何を想い、何を憂うのか。



 私がこのSSに得点を付けるとしたら、東方SSと、「きかい」というお題を考慮に入れ、且つ冷静な見方をしたという前提を踏まえれば、恐らくは九点を付けていた。が、読み終えた直後、正に感動に打ち伏せられている今の状況からして見れば、十点以外には付ける点数が見付からない。十点という点数上限の縛りが煩わしく思えるくらいに、私はこの作品を読み終えて、感動したのである。
 特筆すべきは、綺羅氏の解釈の幅。雛のスペルカードや設定から、此処まで感動的な物語を創造する発想力、またそれを見事な形として完成させた筆力、どれを取っても非の付け所がない。特に、SSとしては結構な長さであるのにも関わらず、それを序盤以外には全く感じさせない読みやすい文章は、最も称賛されるべき所であろう。また、細かな所でも氏の技巧は窺い知れる。ただの会話文では、それとなく主人公の感情を伝えたり、物語の佳境では息を吐かせる間もないくらいの展開に読者を引き込む。そういう場面に合わせた文章故に、このSSはこれほどまでに読みやすく思われるのだと思う。
 ――本当に、身も蓋もない言い方をしてしまう事になるが、私はこの作品が東方と「きかい」というお題に縛られている事を何より惜しく思う。全ての縛りから抜け出していたのなら、この作品は更に良いものとなっていたのではないか、そんな邪推が頭の中にある。が、東方が無ければ生まれなかった作品であるのだから、この邪推は定めて邪推なのであろう。

 ともかく、詳細の感想を書くとするなら、文字数が膨大な事になりそうなので、感想はこれくらいにする。一読に値する価値が、この作品には必ずある。このレビューを読んで下さったのなら、是非とも一読をお勧めします。
PR

05.06.00:46

作品集33「博麗 霊夢」上泉 涼氏

 自らの立場に対する線引きへの葛藤、それはともすれば自身の存在すら脅かしかねない事なのかも知れない。喰い喰われる関係が妖怪と人間のものであるとは、幻想郷の中で至極当然のものでありながら、しかしそれを厭う人間は妖怪が人を喰らうという行為を酷く嫌っている。生物に生存本能がある以上当然の事でもあるが、しかしそれは一方で人間側の利己的な考えなのかも知れない。
 そしてその関係の中心に立ち、人間の為に妖怪を退治する博麗の巫女、そうしてその妖怪と交流を持つ霊夢、そういう曖昧な地点に立つ霊夢が如何なる思慮を有しているのかについてよく考えさせられる作品である。
その有様については、霊夢の一人称から判り易く伝わったが、しかし「妖怪と人間との関係」に関して云えば、少しばかりの冷淡さに欠けているように思われる。が、それも霊夢の慣れが起因しているのならば、表面的ではなくとも深層的にとても冷淡な物語であったという事は想像に難くない。



 血の臭いを感じ取り、陰湿な森の中に降り立った霊夢は、嫌な水音を響かせながら物言わぬ躯を喰らう妖怪と遭遇する。人間に仇をなした妖怪を退治する博麗の巫女である以上、彼女は人を喰らった妖怪をそのまま野放しにしてはならない立場にあった。そうしてその立場に背かぬよう妖怪を退治したが、帰宅した時に、人間と妖怪、その関係の両極に居る者が二人居たのは、全く予期しなかった偶然であった。



 今の幻想郷がそう殺伐とした空気を感じさせないのは、きっと人を喰らう妖怪の描写が無いに等しいからなのでしょう。そしてその光景を想像したからこそ、この物語が生まれたのでしょう。
 喰らうのは生きる為、殺すのも生きる為、その前提があるのなら、人と妖怪の在り方に善悪など付けられません。が、霊夢という存在はそう簡単に物事を割り切る事が出来る立場には居ません。先述した通り、彼女は妖怪と交流を持ちながらにして、妖怪を退治する仕事を持っているのですから。であれば、彼女が自身に引くべき立場の境界――それを博麗とするか霊夢にするか、彼女にとってそれは永遠の命題とも呼べます。それに関する描写は、とても興味深く出来ていたと思います。
 それをこの物語の主題とするのなら、――作品名からしてそれは間違いないのでしょうが、個人的には妖怪が人を喰らうという事にもっと残酷性を加えても良かったと思いました。本来幻想郷に住む人間にとっては、人が喰われただのとそういう話題は決して軽々しいものではないでしょう。もしかしたら、その事実を耳にしただけで嫌悪を感じる人もいるかも知れません。こと命に関して幻想郷の住人は敏感だと思うのです。

 そうは云っても、作品として自重しなければならないとも思うので、その如何に関しては一概に云う事も出来ませんけれども。単なる個人の感想としてならば、私はそう思いました。

 お勧めして下さった方、ありがとうございます。実に興味深く読む事が出来、感想を書くのも楽しく思われました。

05.05.01:52

作品集61「愚者から愚者への贈り物」監督氏

 名も無き妖怪の娘と、人里に住まう猟師の物語。東方の二次創作である事の必要性云々など関係なしに楽しむ事が出来る作品である。物語自体は悲しく切ないものであるのに、読後感は何処か暖かな心持ちになる、何だか不思議な魅力を持っているというのが読後の第一印象で、その後語り部の言い回しの巧みさが後を追うように特別な感慨をもたらしてくれる。
 悲惨な結末か、幸福な結末か、どう解釈するにして彼ら二人が終焉を迎える間際、幸福な気分であった事は語るべくもない。そしてそうであるからには、私は幸福な物語であったと信じている。



 飢えに苦しみ狩りを行う体力すらない妖怪の娘が出会った猟師の男は、酷く物好きな人間であった。弱った妖怪に自らが捕った獲物を与え、元気にしたばかりかその理由は判らないのだと云う。そんな奇妙な人間を前にして、妖怪の娘は得も知れぬ感情に戸惑いながらも、男との逢瀬を重ねて行く。



「うまくできたもので、二人が逢う時は必ず、私が食うに困っていないか、彼が余分な獲物を持っているかのどちらかでした。だから私は彼を襲って食べる必要がなかったのです。」
 この一文が実に微笑ましいと思いました。思えば妖怪の娘が戸惑っている様を一番如実に表しているのはこの文なのではないでしょうか。他にも何だか心が擽られるような言葉もありましたが、個人的に一番気に入っているのはこれでした。こんなにも都合よく男を喰らわない状況で彼と会えたのは、ひとえに彼女の心境の変化に原因があるのでしょうから。彼女の云う通り、食べる必要が無かったのでしょうね。

 実を云うと前に一度読んだ事がある作品で、今回もう一度読み直してみてとても面白く思えました。このような結末を描きながら、暖かな心持ちにしてくれる作品は、中々ないと思います。本当に不思議な魅力を持っている作品ですので、是非ともお勧めします。――といっても、元より高評価を得ている作品なので、今更私が云うような事ではないのかもしれませんが。

 この作品をお勧めして下さった方、ありがとうございました。

05.04.01:46

作品集43「紫の彼岸」みづき氏

 救いが無い、という前書きが意味するように、全く以て救いと呼ぶべき描写は存在していなかった。ただ淡白的に綴られて行く物語が、残酷な時の流れを示し出し、長寿という実に皮肉的な現実が、読み進める旅にありありと浮かび上がって行く。読むに耐え難い寂寞は確かにある。けれども、全く救いが無いと表現するには、少し語弊が生じるかも知れない。荒廃した世界、幻想すら見えなくなった辛辣な世界を目にした時に、それでも微笑を浮かべる事が出来たのは、きっと漸く迎える事が出来た終焉に安堵したからに違いない。



 或る日眠りに就いたら丸一日を寝て過ごしていた。そうしてまた眠りに就くと、今度は二日を眠り続けていた。四日、八日と増えて行く睡眠時間が示すのは、本来気にも留めぬものであるはずの寿命という制限時間。自分の露知らぬ場所で流れ続ける時を、紫はどう捉えどう過ごし、その果てに迎える終焉に、何を思うのか。



 此処まで残酷な話を書き切った作者様には敬服せざるを得ません。そうしてこの物語を、淡々と進めて行く事が凄い。展開はただ時の流れて行く様を描き出し、移り変わって行く人々を無情に映し、紫という妖怪の心情を否応なしに感じさせるもので、一言で表すのなら残酷な物語という形容が最も適切でありましょう。
 ただこういう物語が苦手な方にお勧めは間違いなく出来ません。読む事を選ぶという意味で、この作品の評価は二分されるのではないでしょうか。ともあれ楽しませて貰えましたので、個人的にはお勧めしたい作品です。この作品を紹介して下さった方、ありがとうございました。

05.03.21:55

作品集75「ヘアーブラシとアスピリン」 鹿路氏

 描写の巧みさには非の付け所も見付からない作品。
 女性である限り避けられぬ痛みを表現する技量、登場人物達の会話など、全てが個性に溢れていて飽きる事なく読み終えられる、良い短編作品である。文章から伝わる咲夜の思い、紅魔館住人の心情など、実によく描かれていて、作品内の情景ばかりでなく、自然と彼女らがどういう日常を過ごしているのかを想像させられてしまう。そういう意味でこの作品には「広さ」を感じた心持ちがする。



 下腹部に蟠っているような痛みが、常に咲夜を苛める中、いよいよ体調は更に悪くなって行く。定期的に訪れる儀式めいた痛み――一人孤独な闇の中に佇んでいるかのような不安の中で、咲夜は何を思うのか。



 そう、一言で云えば、本当に「素敵」という言葉が似合う物語なのです。題目からして明るいイメージは得るないように思えますが、しかし氏の書く物語には温かさが滲み出ていて、それでいて纏わり着く鬱陶しい暖かさではなく、何処か平穏をもたらされているかのような暖かさなのです。細かく登場人物達の心情を読み解こうとすると、注意して読まなければならない部分もありますが、それも含めて素晴らしい構成だったと思います。


 追記
 長らく拍手コメントの方を確認していなかったのですが、幾つかお勧めの作品を教えてくださった方々がいるのを見て、大変申し訳なく思います。これから目を通して、私なりの感想を付けて行きたいと思いますので、ほかにも良作があり、そうしてお暇があれば教えて頂きたいです。

04.01.01:05

作品集73「お焚き上げ」反魂氏

 古文のような古めかしい文体が、詩的に連なって行く、とても綺麗な作品。特筆すべきなのは、文章のリズムであろう。綺麗に整えられているかの如く、読む人の頭の中で弾んで行くように、物語が次々と進行して行く様は、読みながらにして驚嘆を与えられるほどであった。が、中盤では若干息切れしている印象がある。冒頭、そして結末は素晴らしいが、この作品の長さだと、どうしても疲れてしまうのではなかろうか。
 読み終えて物語を解した時、誰もが胸に何かを感じるだろう。私の場合、それは「痛み」であった。



 さぁさぁ雛を流しましょ。
 厄を乗せたら、流しませ。
 紙雛載せて、桟俵。
 貴女の涙が、晴れるなら。
 今日の時雨が已むのなら。――(本文より抜粋)

 厄神様と、或る姉妹の物語。



 私がとても読みたかった風味の作品でした。まずこの長さでありながら、リズムを決して崩さない氏の力量に感服します。しかし、創想話のコメントにも書いたのですが、情景を飛ばしながら物語が進んでしまい、登場人物たちの感情が流れ込んで来ても、すぐに流れて行ってしまうのが、欠点として数えられるかなと思います。
 文体からしてよく読み込まなければ状況の把握などが難しいので、その点では却ってリズムの良さが仇となっている気がしました。つまり「読ませる文章」ではあるけれども「伝える文章」としては質が足りない、と書いたのです。尤も私の感想が正しいか否かは判らないのですが。

 個人的には、こういった形式のSSではなく、普通に書いた物語と、詩を絡めた作品が読みたいと思いました。じっくり「読ませ」、じっくり「伝える」、そんな作品になっていたなら、私には百点以外は付けられなかったに違いありません。

03.29.23:45

作品集72「青空で会いましょう」蛸擬氏

 自らの能力に於いて、動力源たるものは一体何か。単純かつ明快な質問の元にもたらされる霊夢への葛藤に似た知的探求心。それが次第に解明されて行く様が、疾走感に合わせて進んで行く中で語られて行く様が、とても面白かった作品である。個人的な物言いとして、短編では物足りなかったというのはあるが、それでも斬新な設定と丁寧な描写が織りなす物語は充分に楽しめる。
 短編なのであっさりと読み終える事も、この作品の長所の一つだが、この作品にある重量というのは更なるボリュームの中に初めて姿を現すのではなかろうか。



 何気ない夏の一時をぼんやりと過ごす中、魔理沙は唐突な質問を投げかける。単なる好奇によるその疑問を解消するには、霊夢には言葉が足りない。そんな彼女を汲み取って、魔理沙はある勝負を持ちかける。



 高い文章力がありながら、それを読ませる事を苦にさせない文体がとても印象的でした。そうして霊夢の内面を描写しながらも衰えぬ速度の元に進行する物語が面白い。
 個人的に欲しかったのは、やはりボリューム。氏の文章力があれば長くとも読ませるだけの力があるように思いました。それともう一つを付け加えるのなら、魔理沙の台詞や、それに対する霊夢の行動に重さが欲しかった。何も暗い重量ではなく、深み、とでも云えばいいのでしょうか、とにかくそういうものを見たく思います。それを踏まえた上でもう一度批評するならば、この作品は物語に内包している重量を、完全に抱え込めていない作品。これを包む布がもう少し広ければ、更に読み応えのあるものになっていたのではないでしょうか。

03.28.20:07

作品集72「像をつくる、護る」くつした氏

 飼い猫、或いは飼い犬などが死んだ時、それを「死んだ」と捉える事が出来ない稚児のような自然の権化は、墓参りの意味も判らないまま、悲観に暮れる女の泣き声を聞き、ただ彼女の為を思いながら氷像の制作に取り掛かる。それは無邪気な子供の微笑ましい一面であると同時に、余りにも非力な子供が、必死に現実に抗おうとする様を酷薄に描き出しているのかも知れない。死んだ者は生き返らぬ。――それは真理なのだから。
 個人的な見解として、文章の書き分けがなされているように思われる。その手法が見事に物語との調和を生み出していて、文章としても、物語としても十分に楽しめた心持ちである。ただ「死」という絶対的な存在を題材にするに於いて、その過程が描かれていないのは私には少しだけ物足りなく思われた。「死」を描写しない事によって伝えられる事も多々あるが、その重さについても語らねばならぬ事は多くある。私はこの作品で、そういう部分を見たいように思った。



 何時しか厳かな館の門前に佇む門番の女と、無邪気な童女が戯れる光景が見られるようになった。一方は深い悲しみを忘れる事が出来ぬまま、一方はただただ楽しみながら、二人は他愛のない遊びに興じていた。――そうして今は昔、失われた者の痛みは、時を越えて二人の前に現れる。それはともすれば狂気の塊、醜穢なるものの権化のようでもある。それを癒しせしめる儚く弱い雪華の花弁は、必死に咲き誇りながら、容易く崩れ堕ちてしまう事であろう。暖かな温もりを、大切な人へ残しつつ。



 読んでいて、何だか優しさのある文章だなと思いました。却ってそれが文章の流れを単調にしている、と感想では書いたのですが、もしかすればそれすら作者様の意図の中に含まれていたのかも知れません。ただ私はいち読者として、思った事を書いたのですが、それを恥じるべき時が来るやもしれませんね。
 ただ、或る人の死を背景に置きながら進行して行くので、本当に物語の中へ入れ込める場面が終末へ集約されていたのが、些か残念でもありました。例えば美鈴と「彼」が出会った場面など、そういった場面が存在していた事を前提として、人妖の間にある隔たりを原因とした熾烈な展開があれば、更に楽しめた事だろうと思います。けれども後書きにて記述されている「なんの捻りもないですが~」という文を見て、「ああ、だからこそ素直に読み進める事が出来たのか」とも思いました。
 感情が気付けば心の中に流れて来るような――そんな切なくも温かな話であったと思います。是非、一読を。

03.27.19:16

作品集53「天狗が下駄を脱いだなら」梅凪氏

 最後まで読み終えると、何だか穏やかな、けれども何処か心苦しい心持ちになる作品。物語の毛色としては、恋愛的要素をそこはかとなく入れた、ともすれば王道とも称せる作品だったが、登場人物たちの新鮮な姿や思わぬ一面などを上手く纏めているので、飽きる事なく読み終える事が出来る。



 頼みがある、と文々丸。新聞の記者、射命丸文に云われ、霖之助は着物を貸し靴を貸し、挙句に人里まで共に同行する事になる。話題の菓子屋にて茶を共にしたり、行った事はごくごく平凡ではあれども、結末には波乱が待っている。微かなる心境の変化は、何処か物寂しく――。



 今までに履いた事のない靴を履いて戸惑う文や、慣れない事を云われたりされたりして羞恥を感じたりする初心な一面がとても面白い作品でした。すっきり纏められているので、読後感も好く、何だか心が躍るような雰囲気に惑わされた心持ちがします。個人的にはもっと劇的な展開があれば、もう一度読み直したいと思える作品になっていた、と思いました。

03.25.20:04

作品集72「羯諦羯諦」リコーダー氏

 昔風の文体が不思議な感慨をもたらす作品。何処か堅苦しく感じる文章なのに、初めから最後まですらすらと読めるのは、氏の成す文章だからに違いない。物語の主要部分に会話文は一切なく、そこには妖夢が修行に明け暮れながら師の姿を追い求める姿が、文体と見事な調和を果たして続いている。個人的に最後までこの文体で続いて欲しかったが、物語の結末は妖夢の一人称へと移行している。

 厳つい顔に刀を帯び、死に装束のごとき白を着て山林を徘徊する者があるという噂が、事の発端である。白玉楼の姫君に仕える庭師、魂魄妖夢はそこに師の面影を感じ、件の人物がいると思われる寺へと向かう。宣告まで普通の生活が続けられていたかのように整然とした室内には人気はないが、妖夢は確かに誰かしらが居ると云う確信を得て、その寺に修行と師を探す為、宿泊する事にした。

 こういう文体はあまりみた事が無かったので、最後まで飽きる事なく読み進める事が出来ました。導入部分が一番好きな場面だったのが印象的です。また緊迫感が伝わって来る斬り合いの場面も、登場人物がどういった動きを取っているのかが判り易く、剣の心得がない人でも楽しめる事だと思います。