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主に東方projectの二次創作について綴る事を趣旨とした、個人的ブログです。 記事のほとんどはSS関連になると思います。
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  • 11/22/10:07

05.06.00:46

作品集33「博麗 霊夢」上泉 涼氏

 自らの立場に対する線引きへの葛藤、それはともすれば自身の存在すら脅かしかねない事なのかも知れない。喰い喰われる関係が妖怪と人間のものであるとは、幻想郷の中で至極当然のものでありながら、しかしそれを厭う人間は妖怪が人を喰らうという行為を酷く嫌っている。生物に生存本能がある以上当然の事でもあるが、しかしそれは一方で人間側の利己的な考えなのかも知れない。
 そしてその関係の中心に立ち、人間の為に妖怪を退治する博麗の巫女、そうしてその妖怪と交流を持つ霊夢、そういう曖昧な地点に立つ霊夢が如何なる思慮を有しているのかについてよく考えさせられる作品である。
その有様については、霊夢の一人称から判り易く伝わったが、しかし「妖怪と人間との関係」に関して云えば、少しばかりの冷淡さに欠けているように思われる。が、それも霊夢の慣れが起因しているのならば、表面的ではなくとも深層的にとても冷淡な物語であったという事は想像に難くない。



 血の臭いを感じ取り、陰湿な森の中に降り立った霊夢は、嫌な水音を響かせながら物言わぬ躯を喰らう妖怪と遭遇する。人間に仇をなした妖怪を退治する博麗の巫女である以上、彼女は人を喰らった妖怪をそのまま野放しにしてはならない立場にあった。そうしてその立場に背かぬよう妖怪を退治したが、帰宅した時に、人間と妖怪、その関係の両極に居る者が二人居たのは、全く予期しなかった偶然であった。



 今の幻想郷がそう殺伐とした空気を感じさせないのは、きっと人を喰らう妖怪の描写が無いに等しいからなのでしょう。そしてその光景を想像したからこそ、この物語が生まれたのでしょう。
 喰らうのは生きる為、殺すのも生きる為、その前提があるのなら、人と妖怪の在り方に善悪など付けられません。が、霊夢という存在はそう簡単に物事を割り切る事が出来る立場には居ません。先述した通り、彼女は妖怪と交流を持ちながらにして、妖怪を退治する仕事を持っているのですから。であれば、彼女が自身に引くべき立場の境界――それを博麗とするか霊夢にするか、彼女にとってそれは永遠の命題とも呼べます。それに関する描写は、とても興味深く出来ていたと思います。
 それをこの物語の主題とするのなら、――作品名からしてそれは間違いないのでしょうが、個人的には妖怪が人を喰らうという事にもっと残酷性を加えても良かったと思いました。本来幻想郷に住む人間にとっては、人が喰われただのとそういう話題は決して軽々しいものではないでしょう。もしかしたら、その事実を耳にしただけで嫌悪を感じる人もいるかも知れません。こと命に関して幻想郷の住人は敏感だと思うのです。

 そうは云っても、作品として自重しなければならないとも思うので、その如何に関しては一概に云う事も出来ませんけれども。単なる個人の感想としてならば、私はそう思いました。

 お勧めして下さった方、ありがとうございます。実に興味深く読む事が出来、感想を書くのも楽しく思われました。
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無題

私の御依頼したのはこれで最後だったような。
twin氏の考察を読めて大変うれしいです。

私はこの作品が創想話の中でも格別に好きです。
うまいとか感動したとかうち震えたとかならば、この作品を凌駕するものは、作者に失礼ながら、それなりに挙げることが出来る。
それでも、創想話にこのような作品が投稿されたということが、この界隈の奥行きを示しているし、作者自身が霊夢らを自らの書きたい作品の婢とすることなく、一人の存在として捉えている真摯さに惹かれます。この作品は作者が書いているうちにこう「なってしまった」ものを、悩みつつ、世に出すしかなかったのが見えます。

以下、「博麗」「霊夢」を用いると論じづらいので、ニュートラルな意味では彼女、とします。
読み返していて考えたのは、この「博麗」と「霊夢」が実はどちらも畢竟、人間側を意味していたことでした。「博麗」というのは彼女の考えでは「妖怪退治する人間」で、「霊夢」は彼女の孤独に震える心の部分です。そして彼女自身は、他人から見れば『博麗 霊夢』は「妖怪と仲良くしている、むしろ妖怪らしい奴」となるし、それが普段の自分なのも知っている。
実はこれはジレンマよりもちょっとトリレンマになっているのではないかと。

>しかし、今というこの時に、目の前に人間と妖怪の両者が居る。私は、どのような立ち位置にいればいいのだろう。いつも通りの私か、それとも妖怪退治を生業とする博麗の巫女か。
>結局、いつも通りに振る舞えないのなら、どちらも叩き出すしかないのだった。

厳密にトリレンマたり得ないのは、いつもどおりに振る舞えない「霊夢」という部分の存在が構造を規定に最重要であるし、いつもの『博麗 霊夢』が可能なのはやはり博麗ゆえの力あってのことだから。しかし残念ながらおっしゃる通り「博麗」や『博麗霊夢』のような部分への言及が少し足りないかもしれない。
完全にトリレンマかジレンマにしてみせると、とても分かりやすく、綺麗な作品になったような気がしますが、作者はそれをよしとしなかったのでしょう。

あと、魔理沙の存在がとても味わい深いな、と読みました。ともすれば紫だけ登場させて、彼女の苛立ちを描いて終わらせてもいい気もするところを、彼女の葛藤を知らずにいる魔理沙、彼女の葛藤を理解してからかう紫と対比して見せたのは素直にうまいなあ、と。そして彼女自身は、自分を理解する紫を撥ねつけ、全く理解しない魔理沙を存在において求めるという悲喜劇にしてみせたのもよいな、と思いました。

自分でも論が混乱しているのが見えますが、twin氏の感想を読んだ後私が読み返した感想はこんなところでした。
重ねてお礼申し上げます。

  • 2009年05月07日木
  • NONAME
  • 編集

お返事。

 丁寧な解説をありがとうございます。私としても、一つの作品に対して真剣に向き合う事が出来て感激の至りです。

 少し私の読みが甘かったかな、と思いました。作者の心理にまで私の考察は及んでいませんし、「博麗」と「霊夢」に関する解釈にも感嘆するばかりです。

 もう一度読み直し、自分でしかと納得出来るように、丁寧に読み込もうと思わせられました。機会があれば、またこうして語り合いたく思っています。ありがとうございました。

  • 2009年05月11日月
  • twin
  • 編集
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