11.22.10:38
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09.06.23:25
幻想の詩―博麗の連―#3
東方SS五作目。
霊夢×紫の連載物。
雨の中訪れた小さな鬼。
次の日は雨だった。昨日の晴天は嘘のように消えて、暗澹たる雲が空を覆う中、小さな滴が幻想郷中に降り注ぎ、朝から不快な音を響かせている。数少ない仕事を奪われて、朝から遣るべき事を失くした私は着替えを済ませた後も呆けながら過ごしていたが、幸い今日は小さな鬼が一人訪れた。
そう云えばこの鬼は、古くからあいつの友人だったと云う事を思い出した。
◆3
「霊夢、お風呂貸して」
縁側の戸を叩くから、誰かと思って開けてみれば、そこには雨に降られて濡れ鼠になった萃香が苦笑を浮かべながら立っていた。着ている服は水が滴るほどに濡れていて、その布地が白だったものだから肌の色が透けている。一応は女の子だろうに、もう少し気を使えと云いたかったが、このまま放って置くのも良心が咎めるので、好く身体を拭いた後に家の中に上がらせた。そして、開口一番に何とも厚かましい事を云って退けたのだが、濡れた身体のままでは畳も悪くなるので、私も鷹揚な心を以て風呂に入れてやる事にした。萃香は助かるよと云って、嬉しそうに風呂の方に歩いて行った。
勝手知ったる他人の家、とは好く云った物だ。萃香は迷う素振りも見せずに一直線に風呂場に向かって行った。運の好い事に、余りに暇だった私もこの湿気を振り払う為に朝風呂に入ろうと思っていた所だったので、湯は張ってある。折角だから、と云う理由で萃香に勧められるがままに、一緒に風呂へ入る事になった。
「うん、好い湯だねぇ」
身体を流し終えた萃香は、湯に肩まで浸かりながらそう云った。風呂の時にも髪の毛を纏めたりしない性分らしいので、水面に橙色の髪の毛が広がっている。火照って赤く色付いた血色の好い頬を緩ませて、風呂桶の縁に顎を乗せている姿は、見掛けだけは幼い容貌に相応しい稚気に溢れていた。ただ、それを口に出せば唇を尖らせるのは明白だったので、それは心の中に留めて置いた。萃香は、相変わらず湯の中で寛いでいる。
「どうしてあんなに濡れてたのよ」
身体に纏わり付いた石鹸の泡を湯で落としながら尋ねると、萃香は頬を人差し指で掻きながら馬鹿な理由さ、と云った。それは何かと尋ねると、聞いても面白くないよと云う。折角風呂を貸しているのだから、答えてくれても好いでしょうと云うと、漸く折れたようで説明を始めた。私は湯に浸かる為に立ち上がりながら、それを聞いた。
「昨夜、紫と夜通し飲んでた帰りに、凄く眠くなったから木の上で寝てたんだよ。そしたらこの雨だから、堪ったものじゃない。雨宿りが出来る場所を探そうとも思って、一番近かったのが博麗神社だったからお世話になろと思ったの」
「それはそれは、馬鹿げた話ね」
「最初に云ったよ。馬鹿な話だ、ってね」
萃香らしいと云えば萃香らしいが、何も帰る途中で眠くなるほど飲んだのなら紫の家に泊めて貰えばそんな目にも遭わなかったろうに、と考えると自然と笑ってしまった。萃香は膨れる訳でもなく、気持ちそうに湯に浸かっている。大して大きくもない風呂桶に二人が入れば少し狭くなるのは当然だが、その気持ち良さそうな表情を見ているとそれも許容出来た。何だか、最近の疲れが癒されて行くように感じる。色々と考えているばかりだったから。
しかし、紫と云う名前が出るだけで、塵労がまた一つ降り積もったような心持がした。
「これだけ気持ち良いと、呑みたくなるね」
「風呂でお酒は止めなさい」
「あらあらお固いね。それならせめて、湯上りに呑もうじゃないか」
「そうね、それなら好いわ。確か炙った豆があるはずだから」
私の冗談に、萃香は肩を竦めて怖い冗談だと云って笑った。
それから暫くの間、取り留めのない会話を交わしながら、私達はお風呂を楽しんだ。
「風呂上りの酒は好いね。火照った身体が冷めないで済む」
「今日の暑さを考えると、それもどうかと思うけど」
机に申し訳程度の摘みを置いて、私達は杯に注いだ酒を飲んでいた。まだ酒を飲むには早い時間だとは思うが、萃香にはそんな事は関係ないらしく、少しずつ口に含んで行く私とは違って、杯の中の酒をぐいと一気に飲み干していた。
外には相変わらず強い雨が降っている。昼間だと云うのに薄暗く、厚い雲は今にも落ちて来そうだった。けれども神社の周りに茂った木々は、久し振りの慈雨を喜ぶかのように、雨に打たれては葉を揺らしている。身体に纏わり付く湿気も、今朝よりかは随分と無くなったかのように思われる。それでもまだ、暑くはあったが。
「――そう云えば」
ふと、また一杯酒を呑んだ萃香が声を上げた。何かと思って萃香を見ると、赤く色付いた頬に手を当てて何か考えている。もう暫く掛かるのだろうかと思って、私は杯を手に持ったが、その時に丁度萃香が話し始めたので、口に持って行く前に止まってしまった。萃香は一つ一つ記憶を遡るかのように話し始めた。
「そう云えば、最近紫が此処へ頻繁に訪れるようだけど、何かあったの?」
一度、心臓が跳ねた。それに呼応して、手に持っている杯の中の酒が少し揺れている。私は萃香の卒然とした問いに対する準備を全くしていなかったので、直接的にこの動揺を発露してしまった。少し酔い始めている萃香には気付けない些細な物かも知れないが、それでも心配だった。――何が心配なのだろう。そう考えても、判らなかった。
私は暫し、答えに窮した。紫が此処へ頻繁に来るような理由も思い当たらなかったし、私達の間にそれに該当する変化もなかった。元々、紫が博麗神社に頻繁に訪れると云う意識も無かったから、そこまで多くもないだろうとも思うし、私にはその問いに返せる答えが最初から無い。――恐らく、本当に無いのだろう。
「知らないわよ。あいつの考えてる事なんて、私には判らないし」
私がそう答えると、萃香は怪訝な眼差しになった。そしてまた酒を呑むと、杯を机の上に置く。紫は萃香に何を話したのだろうか。もしかしたら、何か言伝を頼まれたのかも知れない。――そうも思ったが、鬼が虚言を嫌うのは萃香を見て知っているので、そう云う訳ではないのだろう。萃香の視線は何処か煩わしかった。
雨がほどよくこの沈黙を紛らわせている。蒸したような匂いが空気に混じって、鼻に付く。重厚な印象を感じさせる空の雲が遠くまで広がっている。萃香は、やがて口を開いた。
「本当に?」
「何が」
「本当に何もない?」
萃香の言葉は不可解で、まるで要領を得なかった。これでは紫が、私に対して何かしら思っているみたいに聞こえてしまう。得体の知れない感情が心臓の動きを速めてしまう。心音が殊更に大きく聞こえてしまう。それが煩わしく、それが五月蠅い。思考が錯綜して、鬱陶しくなる。何で昨日と続けて私を疲れさせるのだろう。陰に何か策略を握っている奴が居るのではないかとまで疑ってしまう。我ながら馬鹿げているが、そうとでも思った方が気が楽だった。
私は何故と問う以外に何も云えなかった。実際、紫が私に対して、此処へ訪れる理由を話した事は無かった。
「紫は読めない妖怪だけど、意味の無い事は云わないよ。此処へ頻繁に来るのなら必ず理由がある。もしかしたら言外に表しているのかも知れないし、その行動で示しているのかも知れない。それに気付けないとすれば、それは霊夢が気付こうとしていないからさ。紫が云っていたよ。興味を持たず、感情を持たず。――私には何の事だか判らないけどね」
萃香は紫から何を聞いたのだろう。そればかりを考えていた。
紫は何を知っているのだろう。そればかりを考えていた。
私は何を聞かされたのだろう。そればかりを考えていた。
――興味を持たず、感情を持たず。その言葉が、心の底にずしりと響いた。
――続
連載物三作目。
この調子で行きたいです。
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