11.22.16:12
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09.23.00:49
幻想の詩―神と風祝の連―#5
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
重い意識を抱えながら、それでも開始の太鼓は鳴り響く。
「――すいません。取り乱してしまって」
一頻り泣き、落ち着きを幾らか取り戻した早苗の声音はそれでも重苦しい物であったが、一時の気休めにはなったようであった。赤く腫れた目を擦りながら、神奈子の身から身体を離し、一言の謝罪を入れるとそのまま俯く。神奈子には掛ける言葉が見付からなかった。むしろ謝るのは自分の方だ。学校での早苗の事情について、一切合財を知り得なかった自分が、謝罪を入れるべきだったのに。そう思いはすれども、それが言葉として口を出る事はなかった。
「もう大丈夫です。舞いもきっと成功させますから、八坂様も安心して見ていて下さい」
未だ心持ち震えた声でそう告げる早苗の様子は、神奈子の目から見ても明らかに大丈夫とは云えなかった。磨り減らした心を、尚酷使して、自分の務めを果たそうとする心意気は立派である。だが、休息も取らずに心身を苛めるのは好くない。せめて、今からでも少しの間休めと云いたかったが、神奈子はその言葉を喉の奥に押し込んだ。
何を云えば好いかは判らない。だが、何かを云わねばならない気がした。だから、神奈子は俯く早苗に向って声を発する。例え中途半端に終わろうとも、少しは早苗の力になると期待を込めながら。
「早苗――」
「大丈夫です。大丈夫ですから、今は練習させて下さい。酷い顔をしたまま、舞台に上がりたくないんです」
外で強い風が吹いたのか、窓格子が音を立てた。
その風がとてつもなく恐ろしい恫喝をしたかのように、神奈子はそれ以上言葉を紡ぐ事が出来なかった。必死に自分を奮い立たせようとしている早苗に向ける言葉はとうとう潰えてしまった。早苗が発した言葉は、裏面に明らかなる拒絶の意を含んでいたからだ。早苗は慰めなど求めていない。この場で慰められたとて、現状の何が変わると云うのだろうか。それを考えれば、神奈子は素直に頷くのみである。
信仰心を失いつつあっても、神は神である。
だが、その神は人間の子に何をも施す事は出来なかった。
◆
戸を開けて外に出ると、肌を刺す冷たい空気が襲い掛かってくる。
此処に来る前までは、この冷たさなど感じる事も無かった。それは心の冷えが身体にも及んだからに他ならない。まるで責められているようである。神奈子は居たたまれなくなって、心持顔を下に俯かせながら何処へ向かうでもなく歩き始めた。群青の髪の毛は、今や宵の闇に飲み込まれている。そこに慄くほどの威厳は皆無であった。
「――辛いね」
不意に、神奈子は目の前の道が塞がれている事に気付き、顔を上げた。そこには辛辣な表情を浮かべた諏訪子が、帽子を目深に被りながら立っている。強く握り締めたりでもしたのだろうか、その帽子のつばは弱々しくくたびれていた。
「あんた、聞いてたの」
「聞いたよ。消えつつある者同士、考える事は同じだと思ったら……」
その先を諏訪子は云わなかった。自分の無知と無力を認めたくなかった、神としての矜持の表れかも知れない。だが、確かにそれは早苗の告白に起因する物なのだと、神奈子は思わずには居られなかった。否、それ以外に諏訪子がこんな暗い表情を浮かべているなど、理由が思い当たらない。実の娘のように慈しんだ存在である早苗に降り掛かった刻薄な現実に苛まれているのだ。直接それを叩き付けられた神奈子と同様に。
二人はそれから言葉を交わさずに、どちらともなく歩き始めた。目的地などは無論ない。だが、それでもその場に立ち尽くすのは憚られた。二人は同様の想いを胸に、そして同様の痛みを抱きながら歩き始めたのだ。だからこそ交わす言葉はない。掛けるべき相手はこの場に居ないのだ。今も物寂しい離れ家の中で、悲しみの一色に彩られた表情をしながら祭祀に向けての練習に励んでいるのだろう。その光景を想像すると、余計に足は重くなってしまった。
「困ったね。何も云えやしない」
二人がふらふらと彷徨する内に、やがて何時も宵の宴会を行う縁側に辿り着いていた。そこから眺める事の出来る庭先には、見るも鮮やかな桜の木が悠然と立っている。そこから散る淡い桜色の花弁は、今や寂寥以外に何も感じさせてはくれなかった。そんな中発せられた諏訪子の言葉は、自身への言訳だったのであろう。苦虫を噛み潰したかのような表情をした彼女は、それきり俯いたまま何も云わない。そしてまた、神奈子も頑なに口を閉ざしては開こうとしなかった。
二人の間に流れる沈黙は、実に心地の悪い物であった。神奈子には前に諏訪子の云った言葉が身に染みるように思われた。深く考えれば悪い方ばかりに傾いてしまう。今では、例え浅く考えたとて、悪い事ばかりを考えてしまう。最早その思慮は払拭出来なかった。早苗に対する罪の意識は、二人の胸の中で自らを罵倒していた。何も気付けなかった自分へ、そしてまた何も出来ない自分へと。
「何時から――なんて、考えても無駄ね」
せめてこの辛さを口に出す事で、一時の安らぎを得る事が叶うのならばと神奈子は呟く。それでもやはり、自分への罵倒は終わりを知らなかったし、また気分が晴れやかになる事もなかったが、その呟きは二人の間に会話の種を産んだ。寂然とした庭先を眺めながら、諏訪子は自分の手を支えに今度は空を仰ぐ。そうして今の自分の心持を吐露するような心地で、詠うように話した。それが二人を更に苛めるという事を、承知した上で。
「神様の存在は揺らぎ、実在する風祝は虐げられて、私達が消えた後に何が残るんだろうね。いや、消滅するだけ私達の方がまだ好い。早苗はまだこの世界を生きなければならないから。風祝として課せられた仕事をこなす為に、ずっと。人々から存在を忘れられるのと、それはどちらが辛いんだろうね。――私には判りっこない」
諏訪子の話が終わると同時、祭祀の始まりを告げる太鼓の音が遠く境内の方から響いてきた。その衝撃に揺られたのか、または風の悪戯か、一枚の桜の花弁が二人の前を横切った。
二人はのそりと同時に立ち上がり、境内の方へと歩き始めた。自分達にとって最後になるであろう早苗の舞いを見るのは、今では苦痛へと変貌を遂げていた。去年までは活き活きとして舞う早苗の姿を見られたのが、今回は痛々しくなるように思えて仕方がない。だがそれもまた、仕方のない事である。二人は知ってしまったのだ。早苗が受けてきた仕打ちの全て、その理不尽さを。だからこそ目を背けるなど許されない。二人は、互いに暗然たる表情のまま歩いた。
――遠く、猫のなあという鳴き声が聞こえた気がした。
宵の帳が降りた時分、どんな容姿であれその猫の身体は、漆黒に彩られているだろう。
――続
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