11.22.21:54
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09.22.01:35
幻想の詩―神と風祝の連―#4
守矢神社の面々で連載物。
※鬱要素有り
枯れない花はないが、咲かない花はある。世の中は決定的に不公平だ。
――そう云ったのは、誰だったろうか。
「云えません。――云いたくないんです」
苦しげにそう云った早苗は、弱々しく首を振っていた。
平生の彼女ではない。神奈子は既に悟っている。だからこそ、頑なに自分の云う事を拒絶する早苗に厳しく云う。幼い頃から知っている、娘のような存在が説明をしなくとも辛い経験をしていたのを物語るのなら、それを知らぬまま過ごす事は出来なかった。諏訪子がこの場に居合わせたのなら、きっと同じ事をしただろう。自分に云い聞かせるせるように、心中に呟く。
「云いたくなくても、聞いて欲しい事なんでしょう。誰にも云えなくて、誰にも尋ねられなくて、だから云わなかったんでしょう。そういう表情をしているわ。辛いのに、辛すぎて云えないって表情」
優しく早苗の頭を撫でながら、神奈子は諭す。だが、内心は大きな悔恨に苛まれていた。元来が他人に心配など掛けさせたくと云う性格をしている早苗が、影で泣いていた事を偶然目の当たりにするまで気が付かなかったのは、紛れもなく自分の失態であると思った。立場など関係なく自分を慕った早苗に、自分は何もしてやれなかったのだ。彼女は何時も声のない慟哭を見せていたのに、それを悟れなかった自分は、なんて愚かしいのだろうと。
早苗はまだ首を振っている。最早、それは抵抗ではなかったのかも知れない。自分の身に降り掛かった辛辣な出来事が、意味もなく彼女に拒絶を続けさせるのだろう。綺麗な床の板には、数滴の涙が落ちている。思考とは裏腹に、抑え切れない悲しみは形となって溢れ出し、とうとう彼女に告白する勇気を与えた。
早苗は静かに語り始める。涙に震えた悲痛の入り混じる声で、しかし事の全てを告げる為に。窓に映る空は、丁度太陽が沈んで茜色に染まっていた。祭祀が始まるまでの時間まで少しだけの時間はある。神奈子は途切れ途切れに紡がれる言の葉を一枚ずつ摘むが如く、早苗の話を謹聴した。――自分は何時から盲目になったのか。そう自問しながら。
◆
それはとても些細な理由から始まった。
まだ春の色が芽吹く前の、寒い時分である。早苗は通っている学校の一つ上の先輩に声を掛けられ、携帯の連絡先を交換し合った。その先輩は周りからの評判も好く、如何にも人懐こそうな雰囲気を身に纏いながら早苗に話し掛けてきた。それだから、早苗も何の疑問を持つ事もなく、連絡先を教えた。
それから暫くの間はその先輩から送られてくるメールに返事を送ったり、時々掛かってくる電話に短い時間を割いたりした。祭祀の練習に励む早苗には本当に短い時間であったが、自分の家柄を知っていて尚、積極的に会話を求めてくる先輩は嫌ではなかった。同級生に関わらず、学校内では浮いた存在であった早苗にとっては、その他愛ない会話の内容も楽しく感じられる。だから自由に過ごせる短い時間を使っていても好かった。
しかし、そんな毎日が数週間過ぎたある日の事である。突然早苗の携帯電話に件の先輩から電話が掛かってきた。別に不思議な事ではなかったから、出てみると存外その先輩の声音は厳かであった。一大決心をした時のように、真剣な色を含んでいる。早苗は何時もと違う先輩の様子に少し戸惑いながら、その話を聞いた。
すると、その先輩は早苗の家から数分も経たないで着く公園に今から来て欲しいと云う。流石に不審には思ったが、今までのやり取りから先輩に悪意があるはずがないと思った早苗は、家人の目を盗んで、その公園に向かった。その時は先輩の要件が何なのかなど考えても居ない。だからこそ、公園に着いてから先輩に聞かされた言葉は殊更に早苗を驚かせた。彼女にとっては初めての出来事であった。――先輩は早苗に、付き合って欲しいと告白したのである。
今までに経験の無かった事だから、早苗は驚きふためいた。
どう返して好かったのかも判らなかったし、そもそもこうして明確に異性としての好意を向けられた事もなかったのである。ただ、その先輩が早苗に向けている感情と同じ物を、自分が持っていなかった事だけは判然としていた。早苗にとって、彼は自分の話を聞いてくれて、また面白い話をしてくれる兄のような人物だった。それは恋愛とは違う。それだけは理解していたから、ただ一言、ごめんなさいと云った。
人の好い早苗である。その答えを返すのは辛くはあったが、嘘の答えを返して関係が歪むよりは、判然と自分の気持ちを伝える方を選んだ。――だが、現実は彼女の思った通りには進まなかった。
次の日、学校に行ってみると、比較的仲の好かった友達の対応が冷たくなっている。話し掛けても素気ない返事ばかりが返ってくる。何か気に障る事をしたのかと問うても、返ってくるのはやはり同じ素気ない返事だった。遂には此方を指差しながら陰口を叩く者も出てきた。あからさまに悪意をぶつけてくる者も居た。そして、早苗が何が何だか判らずに考え込んでいると、陰口の中にとうとう理由を見出した。
耳を澄まして聴いてみると、どうやら先輩の告白を断ったのがいけないらしかった。
早苗からしてみれば、先輩の告白を素直に断って、それが何故このような事態を招いたのか、理解出来なかった。だが、それも周りの他人の話を聞いていると段々と、霧を晴らして行くように判る。端的に云えば、それは僻みであった。
早苗に告白した先輩は器量も好く、人柄も好い好青年であった。
誰に対しても分け隔てなく同様の態度で接し、だからこそ異性から慕われていた。そんな男性が、怪しげな家の生まれである早苗に告白した。信仰心の薄らいだ現代の人間は、風祝などという神職に就く人間など理解し難かった。それも彼女が行う祭祀の主たる行事では、人知を超える奇跡が起こると云うではないか。界隈の老人はそれを神の力を受けて起こした奇跡だと崇めているが、世の中の半分も知らぬ学生にはそれは気味の悪い物にしか映らない。そんな得体の知れない女が、人気のある先輩に告白された。それは年頃の女子にとっては有るまじき事件として捉えられたのである。
早苗に対する畏怖、そして先輩との間に起こった小さな事件が招いたのは、虐めであった。それも、当人達以外が知り得ないように行われる陰湿なものである。誰も気付く事はなく、また早苗が誰かに話すような事もなく、それは水面下で行われる。上履きが隠されるという幼稚な物から、直接殴られるという暴力的な物まで、早苗は受けた。
上履きは自力で見付け出したし、殴られるのは決まって顔ではなく服に隠れてしまう腹などだったから、やはり誰かが気付く事もない。結果、早苗は一人でそれらの仕打ちに耐えるより他になかった。例え苦しくとも、誰かに心配など掛けたくなかったのである。
日が増すにつれてそれらは悪化して行った。放課後に呼び出されて、酷い仕打ちを受けるなど殆ど毎日の事である。本当は用事など有りはしないのに、やる事があると神奈子に云ったのも心配を掛けさせたくないが故であった。
そして誰にも知られぬまま、誰にも知らせぬまま、今日がやって来た。今まで隠し通していた秘密が、遂に神奈子に知られた。それが早苗の我慢の限界を解き放ったのは、至極当然である。今まで散々擦り減らされた心は、早苗の感情の均衡を呆気なく崩してしまった。自分の学校生活での事を打ち明けた後、早苗は声を上げて泣き出した。
早苗の頭を胸に抱きながら、神奈子は思う。
――自分は何時から盲目になっていたのだと。
あんなに、早苗は辛いと訴え続けていたのにも関わらず、それに気付かなかった自分はなんて愚かしいのだと。
けれどもそう考えたところで、早苗の泣き声が止む事はなかった。
――続
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