11.22.14:55
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10.21.00:42
幻想の詩―蓬莱の連―#8
東方SS三十八作品目。
蓬莱の薬に手を出した面々で連載物。
書物の項はまだ進まない。
目を覚ますと、見慣れた天井が目に付いた。
薄汚れた、お世辞にも綺麗とは云えない天井である。
それを見て、妹紅は自分が慧音の家で寝ている事に気が付いた。
昨夜の戦いに於ける身体への影響は今はない。妹紅は昨夜の大怪我を思わせる素振りすら見せず、平気な調子で布団の上に座ると、辺りを見回した。小さな机と、その上には平生と同じように一冊の書物が置いてある。台所へと続く戸は閉められているが、曇り硝子に映る人影は、慧音の存在を示していた。
妹紅はそれを確認すると、また柔らかい布団の上に身を投げ出した。
また負けたのかと彼女は思う。
紛れもない敗北、言訳の効かない圧倒的な敗北。昨夜は余りにも酷かった。初めは調子の好い事を云っていたのに、少し時間が経てばあっという間に倒されてしまった。本来してはならないはずの油断がそれを生んだ。彼女は昨夜の敗因が痛過ぎるほど判っていた。けれども、判っていながらそれに続く屈辱だとかは、少しも湧き上がらなかった。
妹紅は忌々しげに一人舌打ちをすると、気を取り直そうとまた身を起こす。そうして机の上に置いてある一冊の本に目を付けた。じっとしていても煩悶してしまうのなら、読書をする方が幾らか好い。そんな心持ちで手に取った本には栞が挟まっている。それだから、何ともなしに手に取った本は、無意識の内に栞が挟まれていた項を開いた。小さな文字でずらりと並べられた文章が一度に飛び込んでくる。しかし、以前と比べて、妹紅はその項に変化を認められなかった。
本は一項も読み進められていなかった。
前と同じ句があるのがその証左である。本が好きな慧音にしては珍しい。妹紅はそんな事を考えて、本を元の通り机の上に置いた。ところへ、丁度慧音が戻ってきた。
◆
「……」
慧音は居間に戻ってきてからも、特に何も云わなかった。
過去の例に沿うのならば、服の周旋に掛けた手間や、倒れていた場から家まで担いできた苦労の話などを冗談交じりに話すのだが、今回はそのどれでもなく、ただ「また負けたのか」と聞いた。
「負けたよ」
妹紅は特に機嫌を損ねるでもなく、ただそう答えたきりである。
平生と異なる慧音の様子を不思議に思ったのか、また怪しいと思ったのか、視線は窓の外に向けられている。すると、外はまだ薄暗かった。遠くの空が、次第に白んできている。竹林の中からでは些か判りにくいが、細い葉の隙間から窺える空の色は、確かに日の出を表していた。妹紅は自分が今まで寝ていたという自覚を、今更になって感じた。
「最近は負けが続いているな」
慧音は盆に乗せた茶を妹紅に手渡しながら、そう云った。妹紅からしてみれば、どんな意図の元に生み出された発言なのかは判らない。それだけに気味が悪い。妹紅が記憶している限りで、慧音が輝夜との戦いの勝敗について尋ねてきた事は一度もない。無論それは不死である自分に気を遣っての所業であると妹紅は解釈していたが、それを前提に置くと、慧音のこの発言は妹紅を混乱させる。仕方なく、妹紅は「うん」と答えた。
「……何かあったのか」
妹紅がうんと云ったきり、暫く間は二人の間の会話は途切れていたが、居間になってとうとう慧音が言葉を発した。心持ち躊躇われたような物言いである。妹紅は余計に怪しいと思い始めた。しかも、その怪しいという猜疑心は、慧音に向けられているように見えて実際は妹紅自身に向いている。彼女は自分の心の内を悟られたかと思い、恐ろしく思っていたのだ。露呈されてしまう物を無理に抑え込めばその反動は大きいのと同義で、妹紅は小さな切欠だけで、自らの心中に築き上げた土嚢の壁を打ち崩す訳には行かなかったのである。
結局妹紅は、慧音の問いに対して少しの時間を設ける事しか出来なかった。
「もう疲れたんだ」
妹紅の言葉にそれ以上はなかった。そうしてそれ以下もなかった。慧音は納得し得ない。薄うす判っていた答えは妹紅の発したものとは全く違う。表面は同じでも、まるで違う意味を持っている。妹紅は見詰められて決まりが悪くなったのか、疲れたから寝させてくれとまた横になった。
慧音は特に何も云わずにその様子を見守った。
実際彼女には他に出来る事がないのである。作ろうと思えば作れるが、それを作る為には妹紅に変化が必要なのだ。彼女が依然として変わらぬ限り、慧音の変化も有り得ない。慧音は、むしゃくしゃしたように、下唇を噛んだ。
――疲れた。
その言葉に偽りはなかった。いっそ楽になれるのなら楽になりたいとも妹紅は思っている。
けれども彼女を縛り付ける過去の呪縛は、一向に解ける気色を見せない。
妹紅は自分の意地と闘わねばならぬ位置に立っていた。
――続
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