11.22.15:46
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10.29.21:41
幻想の詩―蓬莱の連―#エピローグ
蓬莱の薬に手を出した面々で連載物。
月に懸かる紅い焔。
――死病異変。
それは突然、何の前触れもなく起こった。
里は謎の病に蝕まれ、健康な人間など皆無であった。紅い霧、長い冬、永遠の夜――この幻想郷に於いて起こった異変は、どれも奇怪である。しかし件の異変は、これまでにないほど悪質で、これまでにないほど謎に包まれた、真の奇怪であった。その事件を真の奇怪だと称したのには理由がある。過去に起こった異変は、いずれも理由が究明されている。そうしてその元凶となった妖怪達にしても同様である。けれども今回の異変は、誰も真実を知り得ず、誰も元凶を解き明かせず、謎に始まり謎に終わった、最も畏怖すべき、そして最も解決されるべき異変であった。
幻想郷には、幻想郷を守るべく、或いは幻想郷に住む生物を守るべく、生まれた人間が存在する。博麗の巫女として人々に知られる彼女は、これまでの異変をことごとく解決せしめて来た。が、今回の異変は彼女が解決する前に、また解決しようとしたにも関わらず、彼女の手を下らされずに終わり、彼女の手が下せずに終わったのだ。博麗の巫女は云った。今回自分はこの異変を発見する事は出来ても解決は出来なかった。それが示す通り、この異変に於いて博麗の巫女は無力だったのである。そしてそれにもたらされる恐怖は、肉体を病に蝕まれたように、性質の悪い病原菌の如く、人々の精神を苛んだ事であろう。事実、人里に住まう多くの人間は、当時の絶望感を克明に覚えていると語っている。
しかし人々の恐怖は杞憂となった。僅か一日ばかり続いた異変は、それだけで終わった。人々の命を誰一人として奪う事なく、人々が恐怖した事を嘲笑うが如く、唐突に恐怖は過ぎ去った。故に作者はその異変について多くを語れない。ただ霊妙なこの異変を、霊妙なるままに模写するだけである。幻想郷縁起を綴る者として、甚だ申し訳ない事であるが、こればかりはご容赦願いたい。それほどに情報が少なく――皆無と云っても好い。とにかく、その異変は「謎」の一言で決するのだ。
果たしてその異変を起こした者は誰なのか? 或いは妖怪によって起こされたのではなく、自然の現象だったのだろうか? それらは一切判らない。もしかしたら確かに犯人は存在していたのかも知れないし、起こるべくして起こり得た自然な事象だったのかも知れない。どちらにしろ、人々は恐怖した。そうしてその恐怖に抗う術もなく床に伏せ、死に陥る前に健康を取り戻した。此処に明示する。我々はその異変の詳細を一切知らぬ。決して他に答えのない、この異変に対する批評が、それである。
◆
「阿求様、お手紙が届いております故、後でお目通しを」
家人のその言葉を聞いたと同時に、彼女の仕事は一段落を得た。手渡された封筒には丁寧に宛名が書いてある。差出人には博麗霊夢とあった。手紙など珍しい。少し休憩したら、ゆっくり目を通そう。彼女はそんな事を思いながら、自分の前にある机の上へ、視線を落とした。
文字が連なった紙面を見て、一段落が付いた事を確認すると、持っていた筆を硯の上に置き、稗田阿求は一息吐いた。そして、既に暗闇に包まれた空を、硝子戸越しに見遣って、また紙面の上に視線を落とす。
自らの手によって綴られた文章が、滞りなく頭の中に入り込み、それと同時にどんな心境でそれを書いたのかが思い起こされる。何一つとして判らない病魔異変、彼女はその全てが謎に包まれていない事を知っている。幻想郷を守る博麗の巫女も知り得ぬ確固たる事実を、決して何も忘れはしない頭の中に、しかと記憶している。
そうして今度は、文字を書く為の創作的な思考ではなく、過去を思い起こす反復的な思考を以て、過去の情景を自らの心中に映し始める。初めは水面に映る月の如く朧げな映像が、次第に明瞭に映り、阿求の意識はそう遠くない過去へと落ちて行った。それは寒気が肌に突き刺さる、或る寒い夜の事である。
◆
阿求は例の如く自身の責務を果たすべく、紙を広げた机に向い合って、盛んに文字を書いていた。時刻は丑三つ時、家人も眠りに就いたと思われる真夜中である。どうした事か、この日は中々眠れずに、もう少し作業をしようと思った。そうして執筆を開始すると、平生よりも筆が流暢に紙の上を滑る。意識を全て集中させて、彼女は執筆に勤しんだ。如何ほどの時間が流れたのかも知れぬほどの集中力を以て、熾烈な勢いで。
すると、時間の感覚が完全に無くなった所で、ふと窓を叩く者があった。窓は丁度机を挟んだ向かい側にある。夏などはそこから涼やかな風が吹き込んで、好い具合に暑さに爛れた彼女を励ますのだが、寒気蔓延る真冬となっては、その窓は閉ざされ、たまの換気以外に開けられる事はない。元来病弱な稗田である。幾ら夜空を見たかろうと、健康を損なってまでそれを優先する事は叶わない。だが、それが今叩かれている。阿求は一寸の猜疑と共に、筆を置いて窓に近寄った。
近くによると殊更窓を叩く音が大きくなった。正確には窓の一枚向こうにある雨戸を叩いている。それだから阿求の側から、謎の生物を視認する事は出来ない。もしかしたら性質の悪い妖怪かも知れぬ。そんな事をふと考えたが、阿求は好奇心に押されるがままに、窓を開け、雨戸を開けた。――果たしてそこには、珍しい人間が居た。
「夜分遅くに申し訳ない。貴方が稗田阿求ですか」
月光を反射してきらきらと輝く髪を腰まで垂らし、人間とは思えぬ紅い瞳で阿求を射抜く一人の女は、恭しく頭を下げた。阿求は目の前で深々と頭を下げている人間の名を知っていた。けれども目にするのは初めてである。
「相違ないです。どんな御用件でしょうか」
彼女もまた頭を下げて、珍しい人物の来訪を受け入れた。銀髪を夜風に棚引かせる女――藤原妹紅は、それで下げていた頭を上げる。そして阿求の瞳をその紅い瞳で射抜いた後、また礼儀正しい口調で話し始めた。
「先日の異変の事で、お話を」
「先日と云うと、――人里の」
「はい。私の知る情報を話しに伺いました」
「有り難いです。どうぞお上がりになって下さい」
人里に起きた異変の事は阿求とて知っている。そしてそれの情報が限りなく零に近い事も知っている。目の前の人間が完全に危ない者ではないという確信はなかったが、殆ど自然な状態のまま、彼女は妹紅を部屋の中へ招き入れた。幸い淹れたばかりの茶は急須の中に入っている。賓客に勧める茶菓子はないが、それで事足りるだろう。阿求は部屋の中に引き返した後、遠慮がちに入室した妹紅に温かい茶を出した。
「あの異変について何か知っている事は」
妹紅はおもむろにそんな事を尋ねた。阿求は何も知らない。首を横に振るばかりである。
「――そうですか。では私が知っている事で好ければ、話しても構いませんか。真偽が判然と付くかどうか、稗田様にとっては疑わしいでしょうが」
「是非とも。私も何も知らないのです」
「それでは、少しだけお時間を頂きます」
妹紅はそうして異変の真相を語り出した。阿求は黙ってそれを謹聴した。真偽が判らぬのは妹紅の云う通りである。けれども、妹紅の口調に含まれる不思議な重さだとかが、話に信憑性を持たせているような心持ちになった。だから余計な嫌疑をかける事もなく、阿求は語られた内容を語られた通りに、自身の中に記憶した。
◆
永遠亭をご存知でしょう。あれはあそこの住人によって引き起こされました。その中の誰がと云われれば、全員と答えるより他にありませんが、同時にそうと確定する訳にはいけません。私が見た事、聞いた事を素直に話すのならば、全員とは云えないからです。細かな所を云うと、あの異変は蓬莱山輝夜、そして八意永琳によって起こされました。そうだと仮定しても彼女らには相当するだけの要素があるからです。それは貴方も知っているでしょう。また、そうと推測したでしょう。けれども確信は持てない。彼女らが事実上、あの事件に明確に関与していたという証拠は皆無なのですから。
ですが、私だけはあの事件が起こった日の真夜中、――丁度今ぐらいの時間です。私だけが輝夜と相対したのです。彼女はそこで真相を語りました。件の事件は私が起こしたと、永琳が協力したと。それらは充分の予測していました。そしてその予測の元に行動も起こしました。博麗の巫女と共に永遠亭に訪れようとしたのは貴方も知っているでしょう。その時私達は、永遠亭の片鱗すら見付ける事が出来ずに引き返すしかなかったのです。だから、その夜に私が輝夜と出会ったのは幸運であったのかも知りません。また必然起こり得る事象だったのかも知れません。どちらにしろ、私には判然とした分別を付ける事は出来ないので、それらは輝夜の頭の中に仕舞いこまれたままなのでしょうが。
先に明言します。彼の事件は私も関係していました。むしろ本当の元凶は私と云っても好いかも知れません。私が変わったばかりに、輝夜はあの恐怖を撒き散らしたのですから。
彼女は寂しい人間でした。永遠を生きねばならない宿命を背負っているという事は、ご存知だと思います。私も同様の運命を背負っています。そしてあの永琳も、その運命を背負っています。その運命こそが、あの事件を引き起こしました。私が本来あるべき、――これは先に云った運命とは異なりますが、その運命から逃避しようとしたからこそ、異変が起こったのです。
私達は互いを殺そうと日夜不毛な戦いを続けていました。私は或る人の為に、輝夜は自らの無聊を慰める為に。後者は私が勝手に持っていた考えです。実際の彼女は、そうでなかったのかも知れません。ただ、永遠という目も眩まぬほど克明に映る膨大な時間が恐ろしかっただけなのです。そうして、その時を必然共に歩む私が居なくなるのを恐れたのです。輝夜の矜持は何より高い。そうして何よりも薄い。見ようとしても見られないくらいに上手く隠されたそれを、私は目撃しました。そして、彼女に対する批評を自己の内で改めない訳には行かなくなったのです。
私は復讐に生きる哀れな人間でした。しかし、それが変わろうとしました。復讐は畢竟不毛な争いしか生まないという考えに至り、輝夜との殺し合いにも以前ほど熱が入らないようになりました。そうして別の生き方を模索しようと、その時には考えていたのでしょう。今だからこそ明らかに出来る自覚ですが、私は確かにそんな事を考えながら、自身に課せられた勝手な宿命との間に、身を置いていたのです。
動機を失った戦いは実に力が入らないものでした。次第に私が敗北する回数は増え、果てにはちっとも勝てないようになりました。輝夜はその時から私の変化を感じ取っていたのでしょう。或る日彼女は云いました。「つまらない」と、今思えば実に寂しそうな嘲笑と共に。そして私は新たな生き方を見付けるに至ります。生きる期間が決定的に違う人間、妖怪も同様ですが、それらの移り変わりをこの目に収めようと。無限の時を慰める術はそれ以外には無かったのです。一時でなく、永遠の無聊を解消するには、永遠に移り変わり続ける人々を眺めるより他にありません。その内に、私は友人を通して人里と関わるようになりました。そして、その時には、目を付けられていたのです。
輝夜は恐らくこう考えたのでしょう。
人里があるから、殺し合いに身が入らない。憎しみが足りなくなったから、殺し合いに身が入らない。ならば人里を失くせば元の通り、私の憎しみは溢れ出し、拠り所も失い、また同じ日々が始まるのだと。実に短絡的且つ幼稚な思考だとは思うでしょう。しかし仮に私が輝夜の立場にあったなら、私も同様の行為を行わない自信がありません。それほどまで永遠は恐ろしく、大き過ぎる物なのです。死すらもたらされず、輪廻から見放され、曖昧な存在である事は、それだけで百の地獄を経験するよりも辛辣なのです。何かが無ければ、私達はその苦悶に容易く押し潰されてしまうのです。
そして輝夜はあの異変を起こすに至りました。そうしてその夜の私との対談で、何かを悟ったのかも知れません。それが何かは到底私には判りません。以上のみが、私の知っている情報であり、貴方に伝えられる限界でもあるのです。
最後に、――最後に一つだけ頼み事をしても宜しいでしょうか。勝手だとは自覚しています。貴方の責務についても存じています。しかしそれらを弁えておきながら、私は実に無礼な申し出をします。――どうか私が話した全貌を、幻想郷縁起に綴らないでいてくれませんか。私の話を真実と信じるのならば、彼女らに居場所は無くなってしまいます。悪質な異変を起こした以上、博麗の巫女も黙ってはいないでしょう。春が訪れれば、八雲も動き出すやも知れません。そうなれば彼女らは本当に、孤独な永遠を過ごさねばならないのです。同じ苦しみを共有する立場である私は、気味が好いとは思えません。同情すら感じ得ます。憐憫すら感じ得ます。そうして、寂しさすら感じ得ます。
――無礼だとは承知しています。
ですが、どうか、私の頼みを聞き遂げて欲しいのです。幻想郷を記録する貴方だけに、私の記憶を知っていて欲しいのです。ですから、どうか……。
◆
遠い夜空を明るく照らす、焔の翼は感謝の表れだったのかも知れない。白い月の中に緋色が混じり、夕陽のように降り注ぐ奇妙な夜空を見上げながら、阿求は永遠の片鱗を感じた気がした。彼女らが経験する永遠は自分よりも熾烈である。一時の安息は時に苦痛をもたらすが、永遠の苦痛は当然それよりも大きい。彼女らは等しくそれを受けている。永遠の束縛の中に、永遠の苦痛を感じている。自分とは比べ物にならない。阿求は不憫な想いを胸に、白い息を吐き出した。
そして、凍える寒さに身を縮めながら、暖かな室内へと戻った。賓客は茶を飲んで行かなかった。冷めた黄緑の液体が、静かに揺れている。阿求はそろそろ寝ようと思った。予め用意されている布団に身を横たえると、待ち受けられていたかのように、急激な睡魔が襲ってくる。間もなく彼女は目を閉じた。そうして次第に闇の中へと落ちて行く意識の端に、慟哭のようにも聞こえる轟音を聞いた気がした。そして、妹紅が残した去り際の言葉を挨拶に、睡魔の手に置いて行った。
――寂しさは慰め合わなければ埋められません。誰であろうと他人なくして寂しさの解消は得られないのです。私達の場合は、ただその相手が限定されているだけで、他に違う所などないのです。
この永遠の中で、輝夜はひとつ心の拠り所を失ってしまった…輝夜のその後の話が見てみたいと思いました。
お疲れさまでした。次作も楽しみにしています。
長いSSにお付き合いいただき、ありがとうございます。輝夜について一番伝わって欲しかった事が伝わっていて、嬉しくなりました。
輝夜のその後はいずれ書く予定です。とても遅くなるやも知れませんが、今の時点では書くと決めています。そしてその時には妹紅にもたらされた変化も、明確になっているでしょう。
次回作もご期待に添えられるように頑張ります。応援ありがとうございました。
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