11.22.16:53
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12.11.23:16
幻想の詩―紅魔の連―#10
紅魔館の面々で連載物。
まるで、刃のような。
生物が感じる絶対の恐怖は、逃れようと思って逃れられるものではない。幾ら精神が強かろうとも、例え悟りの境地に達したとしても、絶対的な恐怖の前に生物は跪く。何故ならそれは、恐怖であって恐怖でない。身体に訴えかけてもいなければ、精神に影響を及ぼしている訳でもない。ただ、得体の知れぬ何かが、恐怖として生物の中に入り込み、内面を荒らし回って行くのである。――パチュリーはそれを感じている。今この瞬間に、慄然とした恐怖を抱いている。
「あはは」
ぽつりと置かれた椅子の上で膝を抱える少女は、楽しげに笑いながらパチュリーを見遣った。しかしパチュリーにはその幼さ故の愛嬌だとかを感じる余裕など微塵もない。ただ立ち竦んでいる足は動こうともしない。彼女は少女の前に突っ立ったまま、何も出来ずに見ている事しか出来なかった。
「こんな所に来るなんて珍しい。遊びに来てくれたのかしら?」
少女は未だ楽しそうに笑んでいる。けれどもその表情は能面の如く感情がない。ただそこに張り付けられるだけの表情が浮かんでいる。パチュリーは背筋に冷たい汗を感じると共に、一刻も早くこの場から立ち退かないとならない心持ちがした。――自分の足元にある頑丈な床が、木端微塵に破裂したのを見届けて、尚更そう思った。
「生憎私はただの迷子。遊びに来た訳ではないわ」
「そんな事云わないで。ずっと此処に居るから暇で仕方がないのよ」
「それなら打って付けの人物がもう居るじゃない。どんな関係かは知らないけど、強い吸血鬼が」
パチュリーがそう云うと、また少女はあははと笑った。そうして何処かに置いていたのか、一つのグラスを手に持って、その中に注がれている赤い液体を見せた。ワインよりもずっと濃密な赤色が、ゆらゆらと揺れている。パチュリーが灯した焔に照らされて、それは殊更に妖しい輝きを放っている。
「お姉さまとならもう随分と会ってないわ」
「お姉さま? 彼女、貴方の姉なの?」
「うん。だから遊べないの。だから貴方に遊んで欲しいの」
そこで少女は言句を一度切った。そうして手に持ったグラスを口に付けると、少し傾けて中の液体を一口喉へ流し込む。白い咽喉がこくりと動く。細い首は捻れば折れそうなくらいに華奢である。しかしパチュリーは少女の愛らしいその姿を見ていても、和やかな心持ちには到底なれそうもなかった。
少女はただ危うい。繊細なガラス細工のような危うさでなく、一触即発の爆弾の如き剣呑さを内に秘めている。けれどもそれを敢えて指摘する事はパチュリーには出来かねた。それを指摘すれば自らがその危うい領域に足を踏み入れる結果となり、目に余る破滅を経験するような予感がした。
「遊ぶのは好いけれど、何をして遊ぶのかによるわ」
「何? 何って、なに?」
少女は不思議そうな顔をする。パチュリーは何故そんな顔をするのかまるで判らない。
「遊ぶのにも色々あるでしょう。尤もそういう事には疎いんだけど」
「そうなの? 遊び方なんて一つしか知らないわ」
「じゃあ何時も何をして遊んでいるのかしら?」
少女の言葉は全く常識の内を逸脱している。パチュリーはそういう幼子に対する方法を心得ていない。それだから大変弱る。結局相手の意のままにするしかなかった。拒否という選択肢は、既に少女の剣呑さによって閑却されている。
「好く判らないの。やった方が早いわ」
少女がそう云った時、パチュリーは狂気の風気を感じた。これより吹き荒れる嵐が、身を苛め精神をいたぶる気配を伴っている心持ちがした。無論それは目の前の少女に起因している。彼女は何としても少女のいう遊びを断らなければならぬ気がした。でなければ、絶対の恐怖の内に自我を保つ理性すら粉々に砕けて消えてしまう気がした。
「そうね。でも少し待って欲しいわ。貴方の名前は?」
「フランドール。フランドール=スカーレット」
「そう。じゃあフランドール。私は貴方と違って夜中まで起きるのが楽じゃないのよ」
「うん」
「だから遊ぶのはまた今度にしてくれると助かるわ」
パチュリーは平生を装いながらも、内心では手に汗を握る心持ちである。もしも自分の言葉が少しでもフランドールの機嫌を損ねれば、そこでこの交渉に意味は無くなってしまう。元より交渉相手が居なくなれば、それが成立しようはずもない。パチュリーは何としてもこの仄暗い部屋の中から早々に脱したい気分である。
そんな決して穏やかな心境ではないパチュリーに、しかし少女は純粋な気持ちをぶつける。「また来るの」と聞いて、残念そうな光を瞳に湛え、縋るように上目使いをして見せる。能面のような表情は影を潜めている。
パチュリーはその時、この少女の危うさはこの純粋さ故にあるのだと思った。彼女の云う「遊び」がどんな物なのかは判らないし、知りたくもない事ではあったが、それでもフランドールにとっては悠久の無聊を一時でも慰める為に、是が非でも願いたい事だったのであろう。けれども、その純粋さから起こる不可解な恐怖という現象は、パチュリーを安穏とさせなかった。遊ぶなど以ての外のように感じられる。自らを殺して欲しいと望む彼女が、その狂気の前に敗北したのである。
「――ええ、必ず」
それを最後に二人は別れる、パチュリーは最後に後ろを振り返り、椅子の上でグラスの中の液体を揺らしている少女に向かって、「姉の名前は」と尋ねた。フランドールは別段何を懸念するでもなく、無邪気に答える。彼の鬼の名は「レミリア=スカーレットというらしい事を、パチュリーは初めて知った。
――続
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