11.22.16:52
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09.16.22:16
幻想の詩―博麗の連―#10
霊夢×紫の連載物。
まるでその使命をアトラスが望まなかったかのように。
――完結。
私は何をしに此処まで来たのだろう。
少なくとも魔理沙に云われた通り、後悔だけはしない為に来たのだが、実際に今の私を鑑みてみるとその目的は満足に達成されていないように思えた。――何も変わっていないのだ。何か云うべき所で何も云えず、また云わなくても好い事を云ってしまう。それを諫めると更に言葉は口を出なくなり、私は自然と憮然とした態度に変わって行った。
紫からしても迷惑だったろう。急に押し掛けて来て、もしかしたら眠りに就こうとした所だったのかも知れないのに、勝手に不機嫌になって、その癖帰ろうとしない。私だったらこんな事をされれば確実に機嫌を害す自信がある。なのに、紫は嫌な顔など全くせずに、過ぎて行く時間を見詰めている。それが逆に私の醜さを引き立てているようだった。
――ただ、先刻紫の云った言葉が真実だと云うのなら、私の存在は好ましいものになっているかも知れない。全て、私を此処へ来させる為に吐かれた嘘だと云うなら、それはきっと招かざる客ではないと云う事だから。
物事をそう捉えると、隣りで庭先を眺めている紫の横顔が、とても優しげな笑みを湛えているように思われた。まるでこの時を愛おしむかのように。まるで過ぎる時を惜しむかのように。
◆
「ねえ、霊夢。貴方酷い顔をしているわ」
何か話題はないものかと思案していた私を見兼ねたのか、そんな事を唐突に云われた。実際、酷い表情をしているのに相違はないのだろうが、面と向かってそう云われると否定したくなる。だから、そんな顔してないと云って、また途切れてしまった会話に続きの糸口を模索した。要領の悪い人間だと、自分を心中で罵倒したが、何も救われなかった。
「鏡も無しで、自分の顔を見れる人間はこの世には居ないと思うけど」
「それでもしてないの。大体酷い顔をしてるって、例えばどんな風なのよ」
「そうね。例えば使命に追い詰められている人――とか」
その言葉にはっとなって、紫の方を見たら笑みが消えていた。その代わりに扇子がまた表情を隠している。真剣な光を湛えた瞳は何処か剣呑で、私は思わず何時も通りに返そうとした口を噤んだ。
自白すると私は確かに使命に追い詰められた人なのかも知れない。頭の中に響き続けるあの言葉が、どうしても私を縛り付ける。此処まで来れる事は出来ても、私はまだあの呪縛から抜け出せないでいた。抜けだせれば、今流れている空気が気気まずいなどと思わなかっただろうし、紫もこんな真剣な眼差しをしていない。だからこれは、呪縛から抜け出す為に紫が用意してくれた機会なのだ。私はそれに応えなくてはならない。本当の私の気持ちを、宣言しなくてはならない。
「……」
――云うべき言葉は判らなかった。
そんな事はないと云っても、所詮はそれは上辺だけを取り繕う物になってしまう。かと云って肯定すれば、それは間接的な決別を仄めかす言葉になってしまう。そのどちらも私は望んではいないが、それでもその二つ以外に選択肢は見付からなかった。ただ一言、好きだと云うだけで好かったのかも知れない。だが、今まで博麗として生き、博麗として生かされた私にとって、それは大きな恐怖を孕む言葉だった。今までの自分を否定したら、一体何が残ると云うのだろう。もしも、そこに荒涼たる光景が広がっていたらと思うと、私は声が枯れて行く錯覚を受ける。
「……ねえ、霊夢」
答えに窮す私とは対照的に、暫しの逡巡の後に紫は私を呼んだ。紫らしくない優しげな声音で、それが逆に私を責めている気がしてならなかった。何をしに此処に来たのかと、問い詰める心の声が聞こえる気がする。だからこそ、その声音は殊更に際立ってしまう。本当に優しいだけなのか、含まれた意味があるのだろうかと疑ってしまうのだ。
しかし、紫に応えられなかった私が、その呼び掛けを無視する権利など持つはずもなく、私は視線だけを向けて返事を返す。そんな私を咎める事もせず、紫は話し始めた。
「常に肩を重くする必要はないのよ。運命を残酷だと捉える必要もないのよ。ただ、その時に思った事を伝えてくれるだけで好いわ。何時もそうだったでしょう、憎まれ口を叩く時に何も考えていないように。今の霊夢は歪だわ。上から何時も重圧を掛けられているみたい。自分でその重圧を掛けているのに、それに必死に抗ってる。だから泣きそうな顔をしてる。自分に負けてなるものか、そんな顔よ。――ねえ、貴方はそんなの好きじゃないでしょう」
紫が話した内容は、まるで突如舞い降りた天啓が私を貫いたかのように、衝撃を与えた。何もかも的を射ているように思われた。自分で気付いていなかった事も気付かされた気がした。
だから、次に紫が云った言葉は殊更に私の胸を打った。
――今ぐらいは。そう云っているような気がしたから。
「不安なのは貴方だけじゃないのよ」
紫の顔を見る事は出来なかった。少しでも動いてしまえば目の中に溜まっている熱い物が零れてしまう。だから白袖を片手で握りしめながら、ずっと自分の膝元を見詰めていた。微かに震えているのは錯覚などではないだろう。微かに見ている場所が滲んでいるのも気の所為ではないだろう。それだから紫の顔を見る事が出来ない。
自分を否定するのが恐ろしいと、自分を自ら追い詰め始めたのは何時だったか。
見えない呪縛に囚われて逃げ出せなくなったのは何時だったか。
それら全てから解放されたように思う。自分を否定する事なく、また逃げ出す訳でもなく、紫は私に新たな在り方を教えてくれたのだ。――今ぐらいは。それはとても真剣な言葉では無く、直接云われ訳でもないが、それでも私を救うのには充分だった。肩に置かれた手の感触が、初めて感じた物のように思えた。
「聞いても好いかしら。今日は、どんな用事で私の所を訪ねてくれたのか」
紫はそう問うた。
恐らくは全て知っていて、その上で今まで聞かなかった問いなのだろう。何時もはそれが癪に思えるが、今の私は何時もの私ではない。紫の云ったように、思った事を云えば好いのだ。私はそれを望んで此処を訪れ、紫もそれを望んでいるのだから拒否する理由などない。私は思った事を、今まで抱き続けていた想いを、ただ言の葉に乗せて届ければ好い。
「……私、あんたが――」
あの言葉は、もう聞こえなかった。
その代わり、〝私も〟と耳元で囁かれた言葉が何時までも、玲瓏に響き渡っていた。
――完
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