11.22.17:30
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12.20.03:19
幻想郷大戦#15
たまには激しく戦闘物。
誑かされたのは一人の少女。
彼女はただ迷っていた。
自身がするべき事など何一つ判らず、昨日聞いた胡散臭い大妖の演説はその全ての意味を理解する事が出来なかった。けれども遊び場として愛着を持っている広大な湖の畔では殺伐とした空気が蔓延っていて、誰彼もぎらぎらと輝かせた剣呑な眼差しを隠す事なく辺りを跋扈していた。それだから、彼女は何時もと同じ遊び場を離れ、宛てもない空中散歩に勤しんだところ、戻るべき場所も判らなくなり、辺りを低回する羽目になったのである。
彼女の周りでは冷気が常として溢れ出す。厳しい暑さが身に堪える夏でも手にも持った草花は力なく項垂れ、動物達は予想外の涼に驚き逃げ出す。冬ともなれば、彼女に近付こうとする者は皆無である。それほどまでに彼女の持つ力は自然界の内を逸脱し、他者との距離に懸隔をもたらした。しかし幸いな事に彼女にはそれを気にする情緒が乏しかった。遊んでいれば気楽に居られたし、自分の周りを逃げ惑う動物達はむしろ自身に強大な力があるようで心地が好かった。
だが、昨日から彼女の世界は変わった。何時も遊んでいた妖怪達の姿は見えず、何処に行っても殺伐とした空気がちくちくと身を刺す中で、遊ぶ事もままならなかった。彼女は彼女の為に、何処か安穏とした場所を見付けださなくてはならなかったが、それも叶わず今に至る。――彼女は宛てのない散歩を続ける内に、見知らぬ土地に身を置いていた。
周りは鬱蒼と茂る木々に囲まれている。生物の気配はすれども、やはり殺気の入り混じる視線は居心地が悪い。どうしようかと迷いに迷った挙句、空を飛んでまた何処かへ行こうと思ったが、目の前に現れた妖しい隙間はそれを許さなかった。不自然に開いた隙間の向こうには闇の中に気持ちの悪い目が浮かんでいる。そうしてそれらが全部自分に向かっているので、腹が立つ。挑発されているのだろうかと身構えて、目の前の闇を睥睨しても、その視線は無機質なまま変化しない。何がしたいんだ、そう云っても何ら反応を返さないので、遂に彼女は首を傾げる。
ところへ、その隙間より一人の女が姿を現した。金色の髪が艶やかに光るその姿には見覚えがある。そうしてその身より迸る強烈な妖気は図らずとも彼女に後退を余儀なくさせた。女は穏やかに微笑んでいるけれども、彼女にはその表情の通り女の気質が穏やかなようには思えなかったのである。そこにはただただ危険な光が湛えられている。
「こんにちは。妖精チルノ。私の演説は聞いてくれたかしら」
「何の用よ。あたいは忙しいんだから、そんなの知らないわ」
「あらあら強気な子。私との間に如何ほどの差があるのか、まるで判っていない」
小さな彼女の虚勢は、しかし何の意味も持たなかった。女の口端が吊り上がった時に、チルノの足はがくがくと震え始め、自分を見つめる金の双眸には恐ろしく残酷な光が灯った。こいつは私を殺そうとしているのだ、そう思って確信したチルノは、それでも自身の矜持を守る為か、それとも強気な性格が祟ったのか、無意味な虚勢を止めようとはしなかった。彼女の瞳にはあくまで敵対心が剥き出しになっている。無謀とも云えるその態度は、女にとっては滑稽に感じられたに違いない。何故なら彼女の笑みは、相手を冷罵する時のような冷たさを秘めている。
「そう怯えないで。何も貴方を殺しに来た訳じゃないの」
「……だったら何だって云うのよ」
「そうね。面白い事をしにきた、というのが適切かしら」
チルノにはそれが何を云おうとしているのかまるで判らない。女の面白い事が、自分にも通じるとは到底思えなかった。チルノが楽しむ為には一匹の蛙がいるだけで充分である。けれども女は蛙が例え幾千幾万いたとしても、決して満たされぬに違いない。それどころか、チルノが思い付く遊びごとの全てが、目の前の女にはつまらなく感じられる事だろう。チルノはそういう差異の元に恐怖した。尺度の懸け離れた相手ほど恐ろしい存在は居ないのである。
「あたいは遊んでれば楽しいわ。あんたにして貰う事なんて何もない」
「そう云わないで。貴方にとっても好い事よ」
「知らない。知らないから、とっとと帰りなさいよ」
「よくもまあ、そこまで強がれるわね」
その時に初めて、女の態度には明らかなる威圧が加わった、チルノは呻く。周囲一帯が暗黒に呑まれ、何もかもを隠した中で輝く眼が彼女を恫喝している。声も出せぬ。手さえ動かせぬ。足先は動くのを躊躇う。何も出来なかった。チルノは圧倒的な力を目にして、初めて自身の敗北を認めた。強気な彼女は挫かれて、落魄した精神は女の手に落ちた。そうして女は語り出す。冷や汗を滴らせるほどに掻いたチルノを前に、さも楽しそうに笑んでいる。
「こんな言葉を知っているかしら。――馬鹿と天才は紙一重って」
「……」
「もしこれが真実と云うのなら、試してみる価値があると思わない? それには打って付けの素材が居るから」
「……」
「望んでいた事でしょう。誰にも負けない確固たる強さが欲しいと常々思っていたでしょう。私はただその願望を満たしに来ただけよ。誰にも負ける事のない力を授けてあげる。世の中に判らない事は無くなり、貴方の前に弱き生物は跪く。妖精には許されない生態系の頂点に立たせてあげる。その素質が、貴方にはある」
女の言葉は流暢である。そうしてチルノを次第に誘惑している。独裁者が市民に向ける権柄ずくの力で、か弱き自我を打ち崩す。間もなくチルノの垓下は崩落した。夢のような話に魅了された訳ではない。ただ恐ろしい女の前に、逆らう意思を完全に潰されたばかりである。抵抗は選択肢にさえ浮かばなかった。逃げるという手立ては足が拒絶する。ならば彼女は女の人形と化すより他にない。宛てのない散歩の成果はこの恐怖だけである。
「力を手に入れたら、そうね。貴方がずっと勝てずにいた巫女に挑めば好い。力を確かめるには絶好の相手だわ。恐らくは貴方の力があれば容易に達成し得るでしょう。躊躇わずに他者を殺す度胸だって、備えさせてあげるから」
やがて女の手はチルノの頭に乗る。一見すれば幼子をあやすようにも見える。けれどもその手の干渉によりもたらされるチルノへの変化は想像を絶する。彼女の頭の中は混濁し、最早かつての精神は見る影もなく崩された。
彼女には持て余した力を使いこなすほどの知能がない。それ故に暴走した力の奔流を、どうにか自分の力で押し込めて制御していた。それは流れ出す水を手で掬うような行為と同様である。本来の力の一割も出す事がないのだから。
しかし彼女の頭の中には、その力の使いこなし方が次第に定着して行った。膨大な量の数式が頭の中を過ぎて行く。混濁していた意識は次第に形を取り戻し始め、流れ出すばかりだった水は収束し、恐るべき貫通力を以て板さえ穿つほどの強靭さを兼ね揃える。本来持っていた力は更に増し、川の潺湲が滝の如き熾烈さを伴い始める。滝壺に落ちる水の重さは岩さえ砕く。彼女の力はそういう風に増して行った。
「それでは御機嫌よう。――大氷精、とでも銘打とうかしら。ねえ、チルノ」
そうして女は闇の内に消え去った。閉じた隙間の先には先刻と変わらぬ茂みが広がっている。しかし、それらは一瞬にして凍りづく。迸る冷気は空気さえ凝結させ、草木に霜を降らし、虫達を殺す。やがてそれらの奔流が収まり、チルノがその面を白日の下に晒した時には、彼女の瞳は凍てつき、無機質な光を伴っていた。手には一輪の花が握られている。けれどもその花は何事もなかったかのように開いている。冷気などに中てられた様子はない。
「……」
が、彼女が空々漠々たる空の遥か遠方を見渡した時、その花は一瞬にして粉々に砕け散った。凍った花弁は儚く宙を舞い、ひらひらと落ちて行く。まるで雪のように、散っていく。
――続
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