11.22.16:40
[PR]
10.06.22:25
幻想の詩―神と風祝の連―#エピローグ
守矢神社の面々で連載物。
過ぎた月日が忘却をもたらす事はなく。
幻想郷へとやって来て、初めての春が訪れた。
咲いた桜の木々は、かつて居た世界の物よりも美しく思えた。幻想と名が付くこの地に相応しく、桜の咲き誇る光景は幻想的な妖艶さを放っていて、神奈子と諏訪子はその美しさに息を呑んだ。しかし、その桜の樹を見ると、否が応にもあの光景は脳裏を掠めて行く。此処に訪れる直前に見た、屍の並ぶ光景。散った桜の下に、物云わぬ身体が次々と並べられて行った、あの陰惨たる光景。二人はそれを思い出してしまう度に、罪悪感に苛まれる。自分達のした事は、果たして正しかったのかと。
今でも二人だけの宴会は続いていた。神奈子にしても、諏訪子にしても、自分達の内情を吐露する相手は他に居ないのである。この一種習慣にもなりつつある宵の宴会は、二人にとって心中に僅かな平穏と、またそれを乱す記憶とを呼び起こす為に存在しているような物であった。前者は自身を苛める罪悪感に押し潰されぬよう、後者は自らが犯した罪を決して忘れぬように。見事な月が夜空の支配者となったが如く、白い光を降ろす中、二人は盃に注いだ酒をそれぞれ仰いでいた。
◆
肌寒さをほどよく和らげてくれる陽光を降らす太陽が、空に光っている好い天気のある日、一通の手紙が守矢神社に届いた。珍しく取材以外の目的でこの神社を訪れた天狗が、他愛のない話の種と、同時に持って来たのである。それを受け取ったのは早苗であった。客人を迎え入れるのは神自らではなく、神を奉る巫女の役目である。早苗はそれを受け取り、封筒を開けて中に入っていた紙に目を通して、珍しい事もあるものだと思った。
「幻想郷を飛び回る羽目になった私も、大変ですよ」
早苗が紙に目を通したのを見計らってか、噂好きの烏天狗は嘆息混じりに呟いた。まだ配り終わってはいないように見えたので、早苗は苦笑しながら「お疲れ様です」と彼女を労った。実際、何処を飛び回っているかも知れぬ幻想郷の住民、殊に妖怪達は一か所に身を固めている者以外の居場所は見当が付かない。比喩ではなく、現実的に幻想郷中を飛び回らなければならない彼女は、余りにも大変な仕事を請け負ってしまったのだ。
「でも、何でそんな大変な仕事をする事に?」
「……まあ、少し事情がありまして。因果応報と云いますか」
「あはは……何となく察しが付きます」
頬を人差し指で掻きながら云い難そうにしている天狗を見て、早苗は短い文章が綴られている紙面の、最後に書かれている差出人の名を見てまた苦笑した。差出人には博麗霊夢とある。早苗は大方紫と霊夢の内情を知ろうとして、許可のない取材を敢行したのだろうと予測した。二人に捕まれば、相応の報復を受ける事となろう。彼女が云った因果応報と云う言葉はその為に存在したかのような言葉に思えた。
「それでは、私は忙しいのでこの辺で。あのお二人にもお知らせ下さい」
「はい。わざわざありがとうございました。――頑張って下さいね」
そうして烏天狗は一生に焦燥を感じている者の如く、慌ただしく黒い翼をはばたかせて守矢神社を飛び立った。早苗は殆ど一瞬にして煙となった彼女の背中を見送る暇もなく、暫くの間天狗が去って行った方角の空を眺めていたが、やがて我に返ると受け取った手紙に書いてある内容を伝えに行こうと、神社の母屋の方に歩いて行った。
「――という事で、私達も参加しませんか?」
早苗は居間に座っていた神奈子と諏訪子に一通りの説明をして、そう云った。
手紙には近々大々的に宴会を開く事と、無理にとは云わないが折角なので暇な者は集まって貰いたいという旨が簡潔に書かれていた。随分とこの幻想郷の生活に慣れてきたから、そういう行事には積極的に参加したいと考えている早苗にとっては拒否する理由の見当たらない誘いであったが、やはり神奈子と諏訪子の賛同を得たかったのだ。
「宴会ねぇ……腰の重たいあの巫女が、よくこんな提案をするものね」
神奈子は早苗の説明を受けて、さも珍しい物をみたかのように怪訝な目付をした。幻想郷に来て、この地での居場所を確立された後、頻繁に行っていた宴会にも滅多に顔を出さなかった癖に、自分からは誘ってくるという料簡が、甚だ疑問に思えたのだった。けれども酒があって騒げるとなれば、彼女の性分では断れるはずもない。期待に目を輝かせている早苗に向かって、神奈子はすぐに「私は好いわよ」と了解の意を示した。
「大きいって事は、それなりの数が集まるって事なのかな。色んな意味で疲れそうだね」
「でも、折角ですし。洩矢様もご一緒して下さいませんか?」
「私は嫌だなんて云ってないよ。――ただ、早苗が酔い潰れないか心配だなぁ、って思って」
「もう、私だって多少は強くなったんですよ。お二人には敵いませんけど」
可愛らしく頬を膨らまして、憤慨だと云う早苗に向かって、諏訪子は優しげな微笑を浮かべた。
――よく笑うようになった。諏訪子はそう思う。幻想郷に来る直前の早苗は目も当てられぬほど、沈鬱な表情を浮かべていた。時折笑みがその顔に浮かぶ事があっても、それは偽りであった。それが今、屈託なく笑っている。諏訪子は一種奇妙な心持ちになった。そうして、此処に来て好かったのだと、自分に云い聞かせ、「私も行くよ」と告げた。
早苗の笑顔は二人を癒してくれる。その笑顔が無かったなら、二人は到底今日まで無事に過ごせなかったろう。彼女の笑顔を取り戻すべく、自らを追い詰めてでも決断を下したのだから。
「これで好かったんだなと、思えるようになったよ」
盃に注がれた酒をぐいと仰ぎ、諏訪子は誰にともなく呟いた。無論この宴会に同席しているのは神奈子しか居ない。それを知った上での発言だったのだろう。神奈子もそれを察しているようであった。
肌寒い風は、夜になれば殊更に冷える。桜の舞い散る景色にそれを忘れる事が出来たとしても、刹那の間だけであった。すぐに風の冷たさは思い出したように身を襲って来て、それを打ち消す為に酒を飲む。そんな循環がもう何度も繰り返されている。諏訪子と神奈子の頬は、同様に薄紅色に染まっていた。
「――何にしても、そうでなければ私達が耐えられなかったでしょうね」
「終わり好ければ全て好し。そんな言葉はまやかしにしかならないけど」
二人にとっての終わりはまだ訪れてはいない。ただ、あの世界で三人は皆同様に終わりを味わった。元居た世界への決別は、その世界での死を意味している。だからこそ、諏訪子の言葉は重苦しい響きを孕んでいる。重く圧し掛かるような罪悪感を蘇らせ、二人の目を桜の木から背けさせる。今では二人の視線は、空に浮かぶ月に注がれていた。過去の残影は決して無くなる事はない。それでも空に輝く月を見上げると、その黒い影を限りなく白に近付けてくれる光が二人を癒してくれるのだ。この地で得た物を、確かに示してくれるのだ。その時ばかりは、二人は思うのである。
――終わり好ければ全て好し。
――完
- トラックバックURLはこちら