11.22.20:55
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10.12.20:20
幻想の詩―蓬莱の連―#5
蓬莱の薬に手を出した面々で連載物。
男が望むは夢幻泡影。彼女が望むは、判らない。
「父はもう生きられぬ」
突然呼び出され、何の為かも判らない勉強をしていた毎日は、突然終わりを告げた。
少しだけ大人びた少女は、突然の宣告にも関わらず、男が口にした言葉の意味を理解した。
そうして、突然の刺激に痛みすら置いて行った驚きは、暫しの時間を要してから、漸く少女に行動の選択肢を与える。少女は、他人の目も憚らずに「何故」と叫んでいた。部屋には男と少女の二人しか居ない。それ故に、少女の叫び声は殊更に広い屋敷中を駆け巡ったように思われた。だが、必死の形相の少女とは打って変わって、男の表情には如何なる感情も認められなかった。
「宝は泡沫となって消え失せた。元より手の届かぬ代物だ。一介の人間風情にどうこうする事も出来ぬ問題だった。だから父はもう生きられぬ。夢幻泡影だ。やはり人間はそうあるべきだった。そうすれば、こんな事にもならなかった」
淡々とした口調は、しかし溢れんばかりの悲壮感を彼女に感じさせた。
そうして、屋敷の者から聞いていた出来事を思い出させる。男は先日、見るも不様に婚約を棄却された。決して悪い条件だった訳ではない。ただ、人間では困難な難題を押し付けられ、どうする事も出来ずに時が過ぎただけである。男の情熱は熱過ぎた。熱過ぎた熱は身体を蝕む。内から身を焼く獄炎から逃れる術などない。男は永遠に付き纏う恋情と運命を共にするより他になかった。それほどまでに、あの女は美しかったのだ。――かぐや姫と名付けられた、絶世の美女が。
「ああ、恨めしい。私の全ては奪われた。最早財産など意味はない。私は元より選ばれぬ人間だった。恨めしい。儚く消えれたのなら、それで好かったのに。だから、娘よ。私の敵を取っておくれ。父はもう生きられぬ。全てを奪われたのだ。生きるのに必要な物が全て奪われた。判ってくれるな。父は恨めしいのだ。あの、かぐや姫が」
気が触れてしまったかのように、男の言葉に力はなく、濁った瞳は虚ろであった。
少女は突飛な話にとても付いて行けなかった。ただ、何時かと同じに、父親の願いが切実である事を漠然と感じ取ったのみである。娘は初めて父親に頼られた。今まで他人の手によって何の意味があるのかも判らない教養ばかりを蓄えられて、傀儡のように生きてきた自分が、真に人間となれるのだ。
父親は娘の頭を撫でた。
娘は力強く頷いた。顔も知らぬ姫を恨みながら。
――父親は、笑った。
◆
先日の礼をしたいので、と慧音に云われ、妹紅は人里に近い慧音の家に向かっていた。
細い竹が天に向かって伸びる林を進み、少しばかり開けた場所に、慧音の家はある。高台に建てられたその家は、人里を眺望するのに便利であった。何があってもすぐに駆け付けられるようにと、慧音の意図が働いた結果に此処に住まう事にしたらしいと妹紅は聞いた。それと、妖怪である自分が人里の中に住む訳にもいかないとも聞いていた。
そこまで気にする事ではないと思ったが、慧音は慧音で悩んでいる気色を見せていたから、別段何かを云う必要性も感じられず、妹紅はその話は切り上げていたが、今になって思い出してみると、自分を重ねてその理由について考えてしまいどうしても心持ちが悪くなってしまう。自分は人間なのか、それとも別種なのか、それは最近になって答えを求めるようになった妹紅の自問である。けれども、自分が納得出来るような理由は一向に見付かりはしなかった。
そうこうと思案している内に、妹紅は自分が既に慧音の戸の前に立っている事に気が付いた。年季の入った古い戸は、物静かに閉めてある。妹紅は何時ものようにその戸を二回叩くと、中からの返事を待った。硝子のがしゃがしゃと喧しい音を立てる戸だから、慧音が約束の通り居るのならば、すぐに応対するはずである。妹紅はその間、何ともなしに天に向かって伸びる孟宗竹を見上げていた。細い葉が、網のように頭上を覆っている。何処からか聞こえてくる獣の鳴き声に耳を澄ますと、此処は人里に近い所ではあるが、得てして孤独な所だと思った。
「来たか。まあ、上がってくれ。礼と云っても、そんなに大した事は出来ないからな」
「何時も世話になってるんだから、別にお礼なんて要らなかったのに」
「そう云うな。里の者を救ってくれたのだから、その恩には報わなければならない」
「相変わらず堅苦しいのが好きね」
軽く笑って見せて、妹紅は招かれるがままに家の中へと入り込んだ。竹林の中にあるからか、微かに竹の香がする。妹紅はこの匂いが嫌いではなかった。むしろ、云い知れぬ安心感に包まれるような心持ちがして、好きの部類に入る。今日も例の如く、微かな安心を感じながら、妹紅は居間に座った。
居間には特に何かが用意されている訳でも、特別歓待するような準備が整ってもいなかった。何時もの通り、窓際近くに置かれた机に本が置いてある。前よりも幾らか項が進んだようである。と云ってその本に興味を向けるでもなく、妹紅は漫然とした意識の中に、微々たる変化が起こった室内を見回していた。その中で見て取れる変化は、一般の物と同義である。何処であろうと起こり得る変化が、この家の至る所に見られた。
「この通り準備もしていないんだが、取り敢えず少し待っていてくれ」
「別に何もしなくても。ただ私が暇だっただけだから」
「私は好くても他に好くない。今日は出かけるぞ」
「出かける?」
「ああ、人里の方に招待された。――勿論お前も一緒にと」
突然の展開に、妹紅は驚きを隠せなかった。目を丸くして、涼しい顔をしながら着替えている慧音を見ている。余りにその顔が当然のようにしてそこにあるから、妹紅は暫く考えた挙句、何故自分のような得体の知れぬ生物を呼ぶのかという理由に気付いた。その時真先に浮かんだのは、先日彼女が助けた二人の人間の姿である。自分が呼ばれたとすれば、それ以外に思い当たる節はない。大方約束を果たそうと、自分との繋がりがあると思われる慧音に相談して、妹紅を呼んで貰う約束を取り付けたりしたのだろうと結論を出した。元々口だけで交わした約束だったから、それを果たそうだなどと夢にも思わなかった妹紅は、それだけに驚いた。そして有無を云わさぬ態度を作る慧音に抗議を申し立ててもどうしようもないと思った。堅苦しい妖怪だから、好意は受け取っておけとでも云うかも知れない。
「それはまた、突然なお誘いだ」
嘆息混じりに、妹紅は呟いた。
――続
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