11.22.16:49
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12.05.16:37
幻想の詩―紅魔の連―#8
東方SS六十六作目。
紅魔館の面々で連載物。
紅い館にもたらされた小さな変化。
少女が手洗い所から出てくると、何ともなしに満月を見上げていた少女は再び語り手となる。暗い廊下を歩きながら響き渡るのは、二人の靴音と、語り手が紡ぐ物語だけである。
◆
それから間もなくして、紅い館から見える小さな村には、「旅人も犠牲になってしまった」という噂が流れ始める。彼女が取っていた宿の部屋には、凡そ村人には何だか判らない物ばかりが詰め込まれた鞄があるだけで、女がその部屋に戻る事はなかった。結局、宿の主人が云った「あの人は例の館に赴いた」という言葉で、全ての者が心の内に彼女がどうなったのかを悟った。あの館に住む魔物に襲われればひとたまりもない。それがあの美人な女なら、尚更である。
――そうして彼らは名も知らぬ旅人に同情して、平生の通りの生活を始める。誰もが彼女は殺されたのだ、と信じて、しかしそれは決して声に出さないように。小さな村はそういう暗黙の了解によって結束している。
紅い館の中は、外が昼であろうと夜であろうと変化が無かった。戦闘によって破壊された壁はパチュリーが元の通りに修復し、再び館の内部は夜と昼の境界も存在しない、曖昧な世界となった。けれども決定的な変化として、新たな住人が住み付いたという事が挙げられた。パチュリーは、埃の臭いが充満する部屋の一つを勝手に借りて、そこを綺麗に片付け、自分の本を収納する為の書棚を作り、そこに様々な書物を入れた。
さながら書斎の様相を呈するようになったパチュリーの部屋は、それだけで異質な存在となった。ことごとくの部屋が雑然と散らかり、悲惨な有様になっている中で、彼女の部屋だけは目を見張るほどに綺麗で、この屋敷の中の一室とはとても思えないくらいなのである。パチュリーはその部屋に満足した。だが、少女が明らかに不満そうな様子を醸しているのは、最早疑う余地もない事である。
少女にとって迷惑なのは違いないが、二人が館の内で顔を合わせる事はほとんどなかった。極稀に二人が顔を合わせる時として、満月の日がある。その時は少女は館を出て行って、何処かしらから人間を一人狩って来る。その時に丁度パチュリーが部屋を出ていると、偶然にも少女が出発する時か、帰ってくる時かに顔を合わせてしまう。
少女は元より、パチュリーもその時に何か話しかけるといった事はしなかった。彼女はただ、恐怖に顔を歪ませる人間を冷たく一瞥し、そうして少女の顔を見遣って、また部屋に戻るか、紅茶を入れるかして部屋に戻るだけで、別段少女の行動を咎めようとしなかったし、咎める理由も見当たらなかった。この世が弱肉強食で成り立っている以上、そして少女が吸血鬼である限り、それらは必要な事であるからだ。
だからパチュリーは、恐怖にくしゃくしゃになった顔で助けを懇願する人間の姿を見ても何もしなかった。暗い廊下の先へ先へと連れて行かれる人間の悲鳴が聞こえても、何も感じる事が無かった。そうして自室に入れば、書物に羅列された文字が知的探求心を擽り、本にのめり込んだ。人間がどうなるかなど、考えもせず。
そんな満月のある日、パチュリーは思ったのだ。
――この館は狂っている。何もかもが狂って、きっとそれが普通になるぐらいには、自分も狂ったのだ、と。
奇しくもその日から、二人の間には狂った何かが芽生えた事に、長い間二人は気付かない。
◆
「さあベッドの中に入って。風邪を引いたらことだから」
語り手は部屋の中に少女を入れると、そう促した。しかし少女は眠るのを拒否するかのように、首を振って見せる。そうしてまだ話を聞きたいと駄々をこねた。
「人間は眠る時間よ」
そう云っても少女は中々聞こうとしない。早く早くと急かしている。語り手は呆気に取られて、自分を急かす少女を暫く見遣っていたが、やがて嘆息すると、「仕方ないわね」と云った。
それで少女の表情は明るくなる。
だが、語り手は物語をその口から紡ぎ出す前に、
「紅茶が無いわね。淹れましょうか」
と云って席を立った。
――続
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